それは突然だった。

この日も文化祭の準備で帰りが遅くなってしまった。
途中で若菜と別れた北斗は一人暗い夜道を家へと急いでいた。

「こんばんわ」

突然背後からかけられた声に北斗はびくりと思わず立ち止まってしまった。

真っ暗な夜道。
辺りには人影もない。

思わず立ち止まってしまった自分を心の中で叱責しながら北斗は固まっていた。
怖くて振り返られない。
ふと右斜め前を見ると、公園の入り口の手前に『変質者注意!!』の看板が見えた。
どきんと心臓が強く鳴った。

――は、早くここを立ち去らなきゃ・・・・。

どきどきとする胸を押さえながら北斗が立ち去ろうとしたその時――

『こんばんわ』

また背後から声が聞こえた。
更に早くなった鼓動に北斗は苦しくなる。
冷や汗がつつ、と額から流れてきた。
恐怖で足が竦んでしまった北斗は一歩前に進めなくなってしまった。
そしてやめれば良いのに振り返ってしまった。

「!!!!!!」

北斗が恐る恐る振り返ると知らない男の人が立っていた。
いや、正確には男の人のような、である。
その人はこの時期にはまだ早い長めの黒いコートを羽織っていた。
しかも、つばの広い黒い帽子も被っていたため顔がよく見えなかった。

――へ、へ、へ、へ、変質者!!!!

北斗は内心でやっぱり〜〜!と叫んだ。
ゆらり、と黒いコートの人物が動いた瞬間――

北斗は物凄いスピードで走り去ったのだった。



走って走って一切振り向かずがむしゃらに走り続けてやっとの思いで家に辿り着いた。
飛び込むように玄関へ入った瞬間盛大な音が聞こえてきた。
勢い余って止まれなかった北斗は式台に躓いて廊下にダイブしてしまったのだ。
騒ぎを聞きつけて使用人が何人か駆けつけてくれた。
「大丈夫ですか?」と言われながら助け起こされた北斗は、その使用人に縋り付きながら震える声で叫んだ。

「へ、変質者が〜・・・・さっきそこにぃ〜〜!!」

そう言いながら安堵でぼろぼろと泣き出す北斗。
突然泣き出してしまった北斗に助けに入った使用人はおろおろしていた。
そこへお菊とお岩が騒ぎを聞きつけて現れた。

「まあ、まあ、まあ、まあ!北斗様どうされたのですか?」

と北斗の姿を見つけた途端悲鳴をあげたのは菊の声。

「あらあらまあ・・・・。」

と呆れたように呟いたのは岩の声。

二人とも正反対の反応を示しながら北斗に近づいてきた。
そして岩より先に北斗の元へ駆け寄った菊は、震えながら泣きじゃくる北斗を優しく介抱する。

「北斗様、こんなに震えて何か怖い思いをなさったのですか?」

心配そうに覗き込んでくる菊の顔を見上げながら北斗は先ほど言ったことを伝えた。

「まあ!変質者ですって!?北斗様何かへんな事されませんでしたか?」

そう言って菊は北斗の体を心配そうにあちこち確認し始めた。
そんな菊に北斗は怖がっていた事も忘れ慌てて弁解した。

「な、なにもされてないから!き、菊さんや、やだちょっ・・・・。」

菊は何を確認するつもりだったのか北斗のブラウスの襟元を掴むと中を覗き込もうとしてきた。
その行動に慌てた北斗は必死になって抵抗する。

「何をって、北斗様の操が無事なのか確め」

「な、ななななにいってんの菊さん!!??」

菊の言葉に北斗は真っ赤になりながら抗議する。
そんな二人を岩がにやにやしながら見ていた。

そこへ騒ぎを聞きつけて兇が現れた。
岩は兇の姿を見た途端嬉しそうににやりと笑った。

「何の騒ぎ?」

真っ赤な顔をしている北斗と真っ青な顔をしている菊が、お互い向かい合っている姿を見つけて兇は首を傾げながら聞いてきた。

「うふふ〜北斗さんが変質者にやられちゃったんですって♪」

そんな兇に岩がさらりと言い、くすくす笑いながら去って行った。

一瞬きょとんとする兇。
しかし岩が廊下の角を曲がった頃に、みるみる顔色が変わっていった。

「ちょ、変質者って?やられたって??」

兇は慌てて振り返ったが岩はもういなかった。
たっぷり数分、時が止まったその場所で、ギギギと音を立てて兇が北斗達に振り向いた。
見ると北斗と菊も真っ青な顔をしたまま固まっていた。

「・・・・あの」

北斗が言いかけた瞬間。
その場は絶叫と否定の叫び声が木霊したのだった。





「ほんっと〜〜〜に何もなかったです!」

あれから数分後。
北斗は自室で真っ赤な顔をしながら兇と対峙していた。
お互い正座しながら向かい合っている。
岩の爆弾発言のおかげで、パニックになった兇に詰め寄られて大変だった。

『変質者って? やられたって? どういうこと!?』

と取り乱した兇は北斗に詰め寄り挙句の果てには怪我は無いか?と心配までしだし、菊と同じような奇行に走り出そうとした。
いきなり菊と同じような事をされ慌てた北斗は恥ずかしさのあまり・・・・

ばっちーーーん

気がついたら兇をひっぱたいてしまっていた。

「それと・・・・ごめんね。」

真っ赤に手形の着いた兇の左頬を申し訳なさそうに、ちらちら見ながら北斗は肩を竦めた。

「あはは、大丈夫だよ・・・・俺の方こそ取り乱しちゃってごめん。」

兇もばつが悪いのか困ったような顔をしながら謝ってきた。

――あああああ、私ってばなんでこんな時に出ちゃうかな〜・・・・。

そんな兇を申し訳ない気持ちで見ながら内心呟いていた。
最近悪霊騒ぎやらでしおらしくなっていたとはいえ、元来男勝りな北斗。
あまりの恥ずかしさと混乱でつい手が出てしまった。

――ううううう、兇君に嫌われたらどうしよう・・・・。

内心で盛大に落ち込む北斗をよそに兇はまだ納得していないのか、探るようにじっと北斗を見つめていた。
そしてすっと真顔になるとこう言ってきた。

「その・・・・変質者、だっけ?逃げた後、追っかけては来なかった?」

神妙な面持ちで訊ねてきた兇に、北斗は顔を上げる。

「えっと・・・・逃げるのに必死だったから・・・・。」

北斗は記憶を巡視した後申し訳なさそうにそう答えた。

逃げるのに必死だった。
もう怖くて怖くて逃げることしか考えていなかった。
そこでふと、先ほど兇が訊ねた言葉の意味を理解して北斗の顔色が青くなった。

――あ、あのまま家までついて来られていたら・・・・。

ありえなくはない答えに、さあっと血の気が引いた。
逃げることばかりを考えていてそこまで頭が回らなかった。
己の軽率さに北斗は顔を曇らせる。

「大丈夫。」

見上げると兇と目が合った。

「大丈夫、家の周りには不審な奴はいなかったから。」

そう言って兇はやさしく微笑んだ。
その言葉にほっと安堵する北斗。
ようやく落ち着いた彼女を確認すると、兇は北斗に気をつけるように言うと部屋を出た。



自室へ向かう廊下の途中で兇は考え込んでいた。
あの後すぐさま家の周りを確認させたが不審な人物は見つからなかった。
しかし拭いきれないこの不安を北斗に気づかれないよう得意の笑顔で誤魔化したものの・・・・。
焦燥が兇の胸を襲っていた。
振り払えないこの不安はいつもなら素直に受け入れられるのだが。
勘違いであって欲しい、とつい考えてしまう。
こと北斗に関しては平静さを失ってしまう
常に平穏無事であって欲しいと願ってしまうのだ。
お陰で判断が鈍ってしまう。
こんな事ではいけないと兇は頭を振った。

――もしかしたらがある!

兇は迷いを払った表情で顔を上げると、最善を尽くすべく一歩前へと歩き出すのであった。



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