「良かったわねぇ〜北斗さん。」

その日の夕食の時間、清音はにこにこしながら北斗に話しかけてきた。

結局、北斗の父親は清音の一人暮らし(未亡人だと思い込んでいるらしい)に心を打たれたのか、北斗がここにお世話になることを許してくれた。

しかも、帰り際「ふつつかな娘ですがどうぞよろしく。」などと嫁にやる父親のような台詞まで残して言ったのだ。

あの時の恥ずかしさといったら・・・しかも清音さんが美人だと知ったときのあの鼻の下の伸びようといったら。

デレデレと散々話した挙句、結局娘の住む所の事なんてものの数分で承諾していた。

お陰でここにまた住んでもいい事になったのだが・・・。

「え、ええ。」

北斗は清音の言葉に青褪めながら頷いた、しかもよく見ると心なしかお茶碗を持つ手が小刻みに震えている。

その理由は、先ほど気づいてしまった真実――使用人が幽霊――故なのだが、その事にまだ誰も気づいていなかった。

「今日はお祝いだ!ホラ尾頭付きの鯛だぜ!」

いきなりどん、と北斗の目の前に置かれたのは、それは見事な丸々と太った鯛の塩焼きだった。

見るからに美味しそうな豪華なおかずに北斗は一瞬見とれたが、次の瞬間小さな悲鳴を上げて固まった。

「ん?何だい?俺の顔に何かついているのかい?」

使用人の男は訝しげに北斗を見下ろす。

「な、何でもないです!」

北斗は慌てて頭を振って答えた。

びくびくと震える北斗に使用人の男はわけが分からないといった風に首を傾げていた。

「えっと・・・芳一(ほういち)さん、鯛ありがとう。那々瀬さんも喜んでると思うよ。そろそろ仕事に戻った方がいいんじゃないかな?」

豪快な芳一の態度に北斗が怯えているのだと勘違いした兇が、芳一の注意を逸らそうと二人の間に入った。

「おおそうかい?。まあお譲ちゃんもあんな事があった後だからなぁ〜。よし!おれが一曲披露してやるぜ!」

聞いてない。

胸をどんと拳で打ちながら、にかっと笑った使用人の男―― 芳一 ――はそう言うと、くるりと踵を返し部屋の中央へ歩いて行ってしまった。

「はぁ、ごめんね那々瀬さん。みんな悪いヒト達じゃないんだけど。」

「あ、ううん私こそ、その、まだ慣れなくて。」

兇の申し訳なさそうな顔を見た北斗は、慌てて頭を振った。

兇は黙って家を出て行ってしまった自分を助けてくれたどころか、またこの家に住んでもいいと言ってくれた。

しかも、その場に居た猛さんや菊さん岩さん達も好きなだけ居て良いと言ってくれた。

幽霊やお化けはもちろん嫌いだけど、ここにいるヒト達は北斗が思っていたのと違っていた。

だから一緒に居られると思ってあの後ここに住む事を決めたのだった。

そして、父親にも会って許しももらった、もう何も気遣う必要は無くなったのだが・・・。

―――なんで気づいちゃうかなぁ〜。

いかんせん北斗のお化け嫌いはそう簡単に治るものではなかった。

いっそこのまま気づかないほうが良かったと、北斗が溜息を吐いていると、どこからともなく美しい音色が聴こえて来た。

見ると、先ほど鯛を持ってきてくれた芳一と呼ばれた男が畳の上に胡坐をかき、何か丸いギターの様な物を担いで弾いている姿が見えた。

その旋律は優しい音色で何故だか安心するような曲だった。

赤子が母親に抱かれているようなそんな音色。

――お母さん。

北斗の目からぽろりと涙がこぼれた。

「那々瀬さん。」

「あ、ご、ごめんね。芳一さんが元気付けてくれようとしてるのに。」

「ううんいいんだ。芳一さんの曲を聴いたヒトはみんなああなっちゃうから。」

「え?」

兇が指差した方を見ると――皆泣いていた。

しくしくとすすり泣く者や顔を上げてむぜび泣く者、部屋に居た使用人のほとんどが涙を流して泣いていた。

「芳一さんは、昔すごい琵琶弾きの名人だったんだよ。」

「へぇ。」

兇の説明に北斗は感心しながら芳一を見た。

「うぅ、北斗様〜。」

美しい音色に混じって弱々しい掠れた声が聞こえてきた。

何事かと振り返ろうとしたら、いきなりがばっと抱きつかれた。

見ると、菊がおいおいと泣きながら北斗にしがみついていた。

「き、菊さん?」

北斗はいきなりの事に、怖がるのも忘れて泣きじゃくる菊を見下ろした。

「良かったです。良かったですぅ〜無事で、無事でぇ〜〜〜。北斗様に何かあったら菊は菊はぁぁぁぁ〜〜!」

今まで我慢していた涙腺が大決壊した菊は、鼻水をずびずびすすりながら北斗を見上げた。

「北斗様って・・・。」

兇が引き攣りながら菊に尋ねる。

「はい、わたくし決めました!北斗様をお守りするって!」

「え、ええ?そ、それはどうして?」

驚いたのは北斗の方で目を見開きながら菊に問い返した。

「え、だってだって、わたくしのお使いする坊っちゃんの想い人ですもの!いずれはこの鈴宮家の若き奥方に・・・」

「す、ストーップ菊さん!那々瀬さん散歩・・・に、庭でも散歩しに行こう!!」

菊の言葉を遮るように、真っ赤な顔をした兇は北斗の手を取ると有無を言わさず席を立ち、もの凄い速さで北斗を連れて行ってしまった。

そのすぐ後から「坊っちゃんファイトですよ〜」と菊の声援が聞こえてきた。



「あ、あの鈴宮君?」

早足で廊下を歩いていく兇に引かれながら北斗は恐る恐る声をかけた。

その声に兇の肩が揺れた。

「ご、ごめんね、その・・・菊さんがあんな事を・・・。」

突然立ち止まった兇は振り返る事ができず、背中を見せたまま北斗に謝罪した。

手はまだ繋いだまま。

兇の手の熱さに心臓の音が早くなるのを感じながら、北斗は「ううん」と頭を振った。

二人の間に沈黙が落ちる。

それを破るかのように北斗が口を開いた。

「あ、ありがとう。」

「え?」

「その・・・助けてくれて。・・・まだ言ってなかったから。」

北斗の言葉に弾かれたように振り向いた兇は、北斗の顔を見ると優しく微笑んだ。

「うん・・・無事でよかった。」

心の底から言葉に北斗は恥ずかしさのあまり俯く。

兇は俯いてしまった北斗に近づくと、その頬に手を添えた。

北斗は兇の手に甘えたように擦り寄ると、躊躇いながらも視線を合わせた。

自分を映す兇の瞳には優しい色が滲んでいた。

それを見た北斗は心の底から安心し、そして何故か頬が熱くなるのを感じた。

お互い目を逸らす事もなく相手をじっと見つめ合う。

「も、もう夜だね。」

「うん。」

「だ、誰もいないね。」

「うん」

急に恥ずかしくなった北斗は誤魔化すように言葉を発する。

そんな北斗に兇は熱い眼差しを送ったまま、相槌を打ちながら徐々に顔を近づけていった。

「つ・・・月、綺麗だね。」

「うん。」

震える北斗の最後の言葉に兇は「君が」と付け加えゆっくりと瞼を閉じた。

慌てて北斗も瞼を閉じると―――

「あらぁ〜、またこんな所で逢引きなんかしてるんですか〜?」

もう少しという所で、またもや岩が現れた。

ばばっという音が聞こえるくらいの高速で二人は離れ、顔を真っ赤にしながらお互いあらぬ方向を見ていた。

「あ〜岩さんあともうちょっとだったのにぃ〜!」

すると、廊下の角から落胆する声が聞こえてきた。

見ると、廊下の曲がり角の壁に隠れるようにして菊や他の使用人たちがこっそりこちらを伺っていた。

「何よぉ〜、坊っちゃんはあたしのものなんだから!抜け駆けは許さないわよ〜!」

岩はくるりと振り返ったかと思うと、菊や他の使用人達に向かってビシッと人差し指を向けて言ってきた。

「な、何言ってるの!北斗様と兇坊っちゃんは・・・」

「あ〜うるさいうるさい!そんなもんあたしの美貌でイチコロよ!」

何がイチコロなのかよく解らないが、岩は踏ん反り返ってふんっと鼻息荒く言い切った。

「な、何という事を〜〜!!」

菊は岩の言葉に、わなわなと肩を震わせながら憤慨する。

喧々轟々と、女幽霊同士の言い争いが始まる中。

その争いに巻き込まれないようにと、他の使用人たちは早々と退散していき。

いきなり良いムードをぶち壊しにされ放心状態の北斗と、同じく良いムードをぶち壊しにされ欲求不満だらけで頭を掻きむしる兇だけが、その場に取り残されていた。

そして・・・。

使用人達が去って行った反対側の廊下の角からは、また別の視線が一部始終を覗いていたのだが・・・。

「「まだまだ、ね(だねぇ)〜。」」

その視線の主である親子は、お互い溜息を零しながら呟いていた。



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