ふふふ
くくく
うふふふふふ
太陽が沈み夜の蚊帳が降り始めた日没時。
くすくすと笑う不気味な声が学校の裏手で聞こえてきた。
校舎の裏側――壁伝いに道路を歩く人影がひとつ。
その人影はくつり、くつりと笑いながら歩いていく。
その視線は虚ろで瞳は爛々と赤く。
その顔は青白く無表情。
口はだらしなく開きその端からぼたぼたと涎が垂れていた。
人形のように首をかくりと傾げたまま歩く姿は異様。
それはまるで下手な操り人形のような動きで一歩、また一歩と門に向かって歩いていた。
その人影は裏門に辿り着くと突然ぴたりと止まった。
門にぶつかる手前で止まったその人物は、かくんと首を上げて門の上を見上げたかと思ったら
突然その場から消えた。
ひゅっと風を切り門の上へと軽やかに跳躍する体。
ふわりと門の上で一瞬静止した体は、その反動で手足がぐにゃりと色んな方向へと向く。
まるで人形を放り投げた時のようなその柔らかい動きは、その人物が元は人間であったのかと疑いたくなるほどだ。
そして、そのまま重力に従ってひゅっと音を立てて落下する。
スタン
先程見せた動きからは想像できないような軽やかな音を立てて着地したその人物は、かくかくと震えた後ゆっくりと膝を立てて立ち上がった。
そしてまた操り人形のようなコミカルな動きをしながら真っ暗な学校の中へと消えていった。
カタン
誰もいない薄暗い体育館倉庫の裏。
やっと辿り着いたその奥に目的の人物を見つめて笑った。
にたり
「くふふ、うふふふ・・・お、おま・・・おま、た、せ。」
うふふ
くくくく
やとやっと
会えたわね。
その人形のような人物は振り返ったその相手を見た途端嬉しそうに笑った。
「ふ〜今日も現れないですね〜、。」
とぽとぽとコーヒーカップに琥珀色の液体を注ぎながら北斗は軽く溜息を吐いていた。
最近、日課になりつつあるコーヒーを入れる作業をこなしながら薄暗くなりかけた空を見上げる。
北斗が窓から見上げ空は、橙色から群青色に染まり始めていた。
「まあ、焦っても仕方がないからね、気長に待とうよ。」
北斗が居座る部屋の住人は、そう言うと愛用の椅子の上で読んでいた新聞をばさりと机に置くと徐に立ち上がった。
そしてコーヒーメーカーの備え付けてある棚へと近づき、そこに立っていた北斗からコーヒーカップを受け取ると、そのままその棚に寄りかかった。
「そ、そうですね。」
肩が触れ合うほどの距離にいる猛に少し緊張しながら北斗は手に持っていたカップを傾ける。
ずず、と音を立ててしまい慌てて口を離した。
しかも苦い。
緊張のせいで砂糖を入れるのを忘れてしまった。
苦味の残る喉に眉を顰めながら、棚へと振り向くと何事もなかった風を装って砂糖とミルクを入れる。
その様子を面白そうに眺めていた猛は、北斗の背中越しにくすりと微笑んでいた。
「でも、このまま現れなかったらどうしましょう?」
振り返った北斗はカップを口に付けながら首を傾げて猛へ視線を向けた。
その視線を受け止めながら、猛は冗談とも本気とも取れる声音でこう答えた。
「ん〜、僕としてはこのままでもいいけどね。」
おいしいコーヒーにもありつけるし、と意味深な台詞に北斗の頬が引き攣った。
「いや〜・・・。」
それもそれで困る。
北斗は内心冷や汗を流していた。
できればこの事件は早く解決してもらいたい。
それに、ここに毎日通い詰めるのもそろそろ辞めたかった。
なぜならば、保健の先生に想いを寄せている生徒達に感づかれ始めていたからだ。
『放課後、生徒が毎日のように保健室に入り浸っている。』
という噂が流れ始めていた。
まだ、『誰が』と確定されてはいないが、もしバレでもしてこれ以上あらぬ噂を立てられたら堪ったものではなかった。
変な誤解もされたく無かったし、これ以上いざこざにも巻き込まれたくなかった。
いや、もう巻き込まれてるんだけどね・・・・。
最近こそ減ってきてはいたが、毎日のように男子生徒からは兇との仲を詮索されからかわれ、女子生徒たちからは冷たい目で見られているのだ。
殆どの生徒達は遠巻きに事の次第を諦観しているだけなのだが、お節介な人や噂好きの人からの攻撃は少なくない。
――まあ、あんな公衆の面前で助けられちゃったしなぁ〜〜〜。
しかもその原因は先日の変質者騒ぎの時に兇に助けられた事にあった。
あれからさらにお節介な人たちからの攻撃や質問はエスカレートした。
以前、兇のファンクラブの目の前で兇本人から誤解されるような発言をされてしまった事実もある。
これ以上避けて通れない道を増やしたくなくて、北斗はできる限りの祈りを込めて毎晩夜空に輝くお星様に願いを訴えていた。
『どうか、どうか・・・・これ以上学校生活が悪化しませんように。』
気休めだという事は十分わかっていた。
藁をも縋るとはこういう気持ちなのだろう。
自分ではどうしようもない出来事に直面した場合、人間は時として阿呆な行動を取ってしまうらしい。
――何やってるんだろ私・・・・。
そんな胸中での虚しい呟きを零していた北斗の耳に、珍しく猛の硬い声が聞こえてきた。
「どうやらお出ましになったようだよ。」
「え?」
北斗が見上げた猛の手には、兇と同じあの数珠が握られていた。
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