「ただいま・・・です。」
まだ慣れない帰宅に、北斗は語尾を小さくしながら玄関の戸を開いた。
暫くすると、パタパタと廊下を小走りで近づいてくる足音が聞こえてきた。
「あらお帰りなさい北斗さん。ご夕食の準備ができていますよ。」
玄関までやってきたのは黒髪を綺麗に結い上げた和服姿の壮年の女性だった。
和服の女性は、北斗を見るや否や嬉しそうに家へ上がるように手招きをする。
玄関で恥ずかしそうにもじもじしていた北斗だったが、女性に誘われるまま「お邪魔します」と言いながら、靴をきちんと揃えて家へ上がった。
「いやだわ、そんなにかしこまらなくてもいいのよ。自分の家だと思ってくつろいで頂戴ね。」
和服女性はそう言いながらにっこり微笑む。
「でも嬉しいわ〜。こんな可愛らしいお嬢さんが家に来てくれて。うちは男の子ばかりだから、なんかこう家の中が華やかになった気がしていいわねぇ。」
うふふ、と嬉しそうに北斗に話しかけながら、長い廊下を一緒に歩いていく。
「じゃあ、すぐお夕飯になるからお部屋で着替えて来てね。後で呼びに行くから。」
そう言って、和服女性は台所へと消えていった。
和服女性を見送った後、北斗は軽く深呼吸する。
「はぁ〜、緊張した〜。鈴宮君のお母さんって想像してた通りすごく綺麗。」
先ほどの和服女性の顔を思い出しながら北斗は呟いた。
ここは同じ学校に通うクラスメートの鈴宮 兇の実家だ。
3日前の事件の後、家無き子同然になってしまった北斗は住む所が見つかるまでここでお世話になることになった。
本当は若菜の家に居候させてもらおうと思っていたのだが、何故か兇がそれを反対した。
命の恩人故に強くは言えず、しかも何故か兇の母親までもが反対し、その場にいた若菜と言い合いになってしまったのだった。
『助けてくれた鈴宮君には悪いけど、北斗はうちで預かります。』
『いや誰に狙われているかも分からない今、このまま放っておくわけにもいかないよ。それに青柳さんの家が危険に晒されたら那々瀬さんだって気に病むんじゃないかな?』
『で、でも!北斗は女の子なのよ。鈴宮君と一緒に住むなんて・・・その・・・』
『あらあらあら、兇さんなら大丈夫よ〜、その辺は紳士ですものねぇ〜。それに家には他にもお手伝いさんが何人かいるからそういう間違いは起きないんじゃないかしら?』
『・・・・・・・・・・・』
『・・・・・・・・・・・』
―――鈴宮君のお母さんのお陰で言い争いは一時中断したんだっけ・・・。
その時の二人の顔といったら・・・本当に二人共面白い位に同じ顔で”目が点”になっていた。
その時の光景を思い出し、北斗はくすくすと思い出し笑いをしてしまった。
まあその後、私が割って入って『若菜にも迷惑かけられないし、住む所が決まるまで鈴宮君の家に居候させてもらう』と言ったことでその場は何とか収まったのだった。
あの時はああ言うしかないと思っていた。
親友の若菜の家に行けば事は丸く収まるのだろうが、何より北斗を思い留まらせたのは親友の若菜をあの事件に関わらせたくないという思いだった。
犯人は北斗の部屋を全焼させるほどの危険な人物だ、しかも襲われた時の事は異常とも言える光景だった。
部屋中にあった巨大な爪で抉られたような跡、突然コンロから立ち昇った火柱、それが生き物のように蠢き北斗に襲い掛かって来たなんて誰が信じてくれるというのだろう。
そんな事を警察や他の人に説明したところで信用してくれるわけもない。
唯一信じてくれる相手と言えば、その場に一緒にいた兇くらいだ。
親友の若菜でさえ困惑するだろう、だから彼女にも真実は伝えてなかった。
だからこそ若菜の家ではなく、迷惑だろうが兇の家にいるのが最良の選択だと思った。
思っていたのだが・・・・。
後々になって自分の発言が間違っていたのではないかと北斗は後悔していた。
兇はモテル。
恐ろしいくらいモテル。
どの位モテルかと言うと、もし彼と付き合ったなら学校中の女の子達を敵に回すかもしれないほどだった。
改めて考えると寒気がする。
ここにお世話になっていることは絶対内緒にしなくてはならない。
事情を知る若菜にも協力してもらって北斗は若菜の家に居候している事になっている。
それもこれも今後の学校生活を楽しく平和に過ごすためだ。
そう心に誓って胸の上で小さくガッツポーズを決めていると、北斗の部屋の障子の向こう――廊下―から声が聞こえてきた。
「那々瀬さん、夕飯の用意が出来たよ。」
「あ、は〜い。今行きます。」
障子の向こうから聞こえたのは兇の声だった。
障子越しに映る兇のシルエットに何故かドキドキしながら、北斗は急いで着替えを済ませると部屋の障子を開けた。
そこには廊下の柱に寄りかかりながら北斗を待つ兇がいた。
「さ、行こうか。」
「兇坊っちゃん。」
兇は北斗の肩にさりげなく手を回し食事の間へと歩き出そうとした所へ、背後から突然声がかけられた。
声のした方を反射的に振り返ると、兇と北斗の間からぬっと顔を突き出し、兇を切なそうに見つめる女の人の顔があった。
「うわっ!」
「きゃあぁぁぁぁ!!」
突然現れた女の顔に二人は悲鳴を上げた。
「ううう、坊っちゃん。女性とそんなに密着するなんて・・・なんとハレンチな。奥様が、奥様になんと説明すればいいのでしょう。これも偶然ここに居合わせた私が悪いのです。ええそうですとも、そうでしょうとも。私が悪いのです私が・・・申し訳ありません坊っちゃん。菊は菊はなんとお詫びしたらよいのでしょう。なんとお詫びしたらああぁぁぁ〜。」
突然現れた女性は、ものすごい早口でそういい終えると、よよよと泣き崩れてしまった。
「あ、あの菊さん。何もしてないから。母さんに夕食の準備が出来たから呼んで来るようにって言われただけだから!」
泣き崩れる相手にぎょっとした兇は「何もしてない!」と必死で弁解した。
「本当ですか?」
菊と呼ばれた女性は、泣き腫らして真っ赤に充血した目でぎょろりと兇を見上げると、もの凄い勢いで兇に掴みかかった。
鼻先が触れそうな位顔を近づけ、鼻息荒く兇に詰め寄る姿ははっきり言って恐い。
「ほ、本当、本当だって!」
兇は上半身を退け反らせ、若干引きつった笑顔を向けながらこくこくと頷いた。
「そうですわよね、兇坊っちゃんがそんなことする訳がありませんですわよね〜♪私ったら早とちりで・・・申し訳ありません坊っちゃん。ささ、お夕飯の用意が出来ておりますよ、お食事の間へどうぞ。」
菊は兇の胸倉をぱっと離すと、さっきまで泣いていたのが嘘のように笑顔になり、「では私はこれで」と足取りも軽く廊下の先へと消えていった。
―――す、凄い人。だ、誰あれ?
北斗はぽかんと暫くの間、菊の消えていった廊下を見つめていた。
「ご、ごめんね。菊さん悪い人じゃないんだけど、ちょっと感情的になりやすいっていうか・・・」
「あ、ううん気にしてないから大丈夫だよ。でも、凄かったね。あの人も使用人さんなの?」
「あ、うん。他にも何人かいるから後で紹介するよ。」
「ほんと?うわぁ〜楽しみ〜♪私の家なんてアパートだったから使用人さんなんてもちろんいないし、そういうのってドラマとか映画の中でしか見たことないんだよね。本物見られるなんて超感動♪」
北斗はえへへ、と嬉しそうに素直に喜んだ。
そんな北斗を優しい眼差しで見つめていたが、先ほど北斗とした約束に眩暈を覚える兇であった。
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