―――いいのかな、こんな事してもらって・・・

北斗は、暗い夜道を家路へと歩きながら先ほどから同じような事を考えていた。
隣で歩く兇をちらりと見上げる。
月明かりに照らされた兇の横顔は女の自分から見ても綺麗で思わず見とれてしまった。

「どうしたの?」

北斗の視線に気づき兇は首を傾げながら聞いてくる。

「な、な、な、なんでもない!」

慌てて首と手をぶんぶんと横に振りながら「なんでもない」と連呼する北斗に、兇はキョトンとした顔をする。

―――ううう・・・す、鈴宮君があんな事するなんて!!

兇の顔を見た途端、ここに来るまでの経緯をまた思い出してしまい、落ち着いてきた頬がまた赤くなりだしてしまった。
正門で兇に会ってから、駅までの道のりは他愛無い話をしていただけだから良かった。
問題はその後だ。
駅に着いた時、兇からお互いの住む家が実は隣街同士だったことを聞いたときは正直嬉しかった。
嬉しかったからそのまま一緒に乗って行こうと電車に乗りこんだ。
電車の中は家路に急ぐOLやサラリーマン達で車内はいっぱいで当然座る所も無く、ちょうど二人分の隙間ができたドアの隅に移動したのがいけなかった。
兇はドアと座席の間に北斗を収めその前に立つと、乗降する人の流れや電車が揺れる度にぶつかる人の波から北斗を庇ってくれた。
電車を降りるまでの間、小さい北斗は人の間に埋もれる事も出口から押し出される事もなく電車に乗っていることができたのだが、人が出入りする時や電車が揺れる度に兇の体が押され必然的に北斗と密着する体勢になってしまった。
眼前に迫る男物のブレザー、第二ボタンまで外されたシャツから覗く鎖骨、首筋からは自分のものではない男性の―――兇の匂いがした。
花のような甘い匂い、でも甘ったるい匂いではなく、どこか凛とした清涼感のある懐かしい感じのする匂いだった。

―――ひゃあぁぁぁぁぁぁ〜〜〜〜

そこまで思い出して、ボッと音が出そうなほど顔が真っ赤になった。

―――うううう、てかあれは不可抗力よ!親切よ!紳士なのよ!!落ち着け、落ち着け私。

肩で、はぁはぁと息をしながらなんとか顔の熱を冷ます。
ふぅ、と額の汗をぬぐい取り、はたと横を見ると・・・・
目が点になって固まっている兇がいた。

―――鈴宮君いるの忘れてた!!

先ほどの自分の行動を思い出し、別の意味でまた赤面する。

「ああああ、あの、何でもないから!なんでも!!」

「あ、う、うん」

北斗に言われ、やや引きつりながら兇が頷く。

―――何やってんの私〜〜〜!痛い、イタイよ鈴宮君の視線が。

まだ自分を訝しげに見る兇に気づき内心焦る。

―――どうしよう、せっかく親切で家まで送ってくれてるのに。

実は車内で兇からの悩殺攻撃を受けた北斗は、自分が降りる駅に着いた時には瀕死の状態だった。
己の容姿に全くもって関心の無い兇は、”北斗の瀕死の原因は電車が満員のせいで気分が悪くなったのだろう”と勘違いしてしまい、北斗の身を案じ家までついて来てくれたのだった。
そして更に、ここでも北斗の試練が待っていた。
兇はあろうことか、ふらふらになった北斗の肩を抱き寄せ電車を降りると、そのまま改札口まで彼女を連れて行ってくれたのである。
駅を出ると今度は車道側に兇が立ち、優しく北斗の腰を支えながら車から彼女を庇うように歩き出す始末だ。
しかも北斗の鞄を持ってくれるというオプション付きである。

―――スゴイ、凄いよ!紳士だよ!王子様だよ鈴宮君。

北斗はクラスの男子達との各の違いを見せ付けられて、兇への賛辞を心の中で呟いた。

―――でも今はいらない・・・ごめんなさい・・・このままだと死んじゃう、マジで。

兇の天然悩殺紳士アタックに北斗は昇天しかけていた。
北斗は普通の女の子、ちょっと男勝りで元気な女の子である。
男友達もそれなりにいるし、男の子と二人きりで話したりするのも慣れている。
ただ、こうやって密着したり紳士的な扱いを受けたことは無かった。
ほとんどのクラスの男子達は北斗を女としては見ていない―――女性として認識されてはいるが、恋愛感情云々の範囲としては見られていないのが事実だ。
ほとんどの男子生徒たちは北斗のことを友達、もしくは妹という感じで接しているので、北斗が経験するのは頭をぐりぐり撫でられたり、肩をばしばし叩かれたり、友情からの肩を抱き合うといった行為ばかりであった。
なので、兇のこの行動にはさすがの北斗も面食らってしまった。

―――どうしよう・・・このままだと倒れるかも。

いよいよもって昏倒の恐れを感じ冷や汗を浮かべた時。

「大丈夫、まだ具合悪い?」

見ると心配そうに自分の顔を覗き込む兇と目が合った。

「あ、うん。大丈夫、だいぶ楽になったよ」

兇の顔を見た途端、さっきまでの恥ずかしさが嘘のように冷めていった。

―――そっか、鈴宮君はずっと心配してくれてたんだっけ。何ひとりでやってんだろ。

急に先ほどまで兇の行動に慌てていた自分が恥ずかしくなった。

―――そうだよね、これが鈴宮君なりの優しさなんだよ、彼にとっては自然なことなんだよきっと。

彼の座右の銘『学園に降り立つ天使』、やら『白馬の王子様』―― 誰がつけたのか―― を思い出しひとり納得する。

「ありがとね、鈴宮君」

今だ自分を心配そうに見つめる兇に、にっこりと微笑みながら北斗は感謝の気持ちを伝えた。
急に元気になった北斗に一瞬驚いていた兇だったが、北斗の花のような笑顔を見ると、ほっとしたように微笑んだ。

「良かった。電車に乗ってから急に具合悪そうにしてたから心配してたんだ。」

「うん、もう大丈夫。心配かけてごめんね。」

お互い微笑みあった後、北斗が口を開いた。

「もうここまででいいよ、すっかり遅くなっちゃったし、私の家すぐそこだから。」

言って兇から離れようとした時。

「知りたいな、那々瀬さんの家。」

兇は北斗の腰を支える腕に力を込め、甘く掠れた声で囁いてきた。
驚いて見上げると、少し潤んだ熱の篭る瞳とぶつかった。
その瞳を見た瞬間心臓がどくんとうるさく鳴り出し、唇は震え体が熱くなり足に力が入らなくなってしまった。

「え、あ・・・」

頬も熱くなり言葉に詰まる。
兇は更に腕に力を込めると、潤んだ瞳のまま北斗の瞳を覗き込んだ。

「あ、あの・・・」

「夜道は危険だから、家までちゃんと送りたいんだ。」

さっきまでの情熱的な瞳は何処へやら、人懐っこい笑顔でにっこりと微笑んできた兇に毒気を抜かれ、北斗は思わず頷いてしまった。

「じゃ、行こうか?」

「う、うん。」

まだフワフワする体を支えてもらいながら歩き出す。
北斗は動揺していたので気づかなかった。
兇が「夜道は危険だから・・・」と言いなが薄暗い街灯の先―――暗闇の向こうへ鋭い視線を向けていたことを。

そして、これから起こる惨劇を―――


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