カチャリ

真っ暗な空間に何かが開く音と、一筋の光が差し込んできた。
ゆっくりと開かれる扉。
薄暗いそこに声が響いてきた。

「送ってくれてありがとう」

北斗は自分の部屋の鍵を開けると、元気な声で言いながら兇を振り返る。

「どういたしまして。荷物中まで運ぶよ。」

「え?あ、いいよそこまでしなくても、悪いよ。」

「でも・・・」

親切な兇の申し出にやんわりと断った北斗だが、心配そうな兇の表情に一瞬ためらってしまう。

「へ、部屋汚れてるし・・・そ、それに・・・。」

ちらりと自分の住む部屋を振り返る。

「えと、私一人だし。」

北斗の言わんとしている事を理解した兇は慌てて弁解する。

「あ、そ、そういう意味じゃなくて、その・・・し、心配だっただけで、や、やましいとかそういう気持ちは・・・」

「だ、大丈夫!ちゃんとわかってるから!!」

頬を染めながら必死に弁明する兇に、つられて頬を赤く染めながら北斗が言葉を続けた。

「そ、その、へんなこと考えてないってわかってるから。」

北斗はそう言うと、えへへっと恥ずかしそうに笑いながら鞄を受け取ろうと兇に近づく。
一歩足を踏み出したとき、カクッと膝から力が抜け体が傾いた。
玄関の壁にぶつかる寸前、伸びてきた腕に抱き止められた。
見上げると驚いた表情の兇と目が合った。
兇に抱きつく格好になった北斗は慌てて離れようとしたのだが、一瞬早く兇が動いた。
「ごめん」と短く言葉を放つと、北斗の膝の裏に素早く腕を回し、そのまま小さい体を抱き上げ靴を脱ぐと玄関の先の廊下へ進んでいった。
いわゆる”お姫様抱っこ”をされた北斗は固まったまま、されるがままになっている。
部屋にたどり着くと、北斗をベットに下ろし片膝を付いた状態で北斗の顔を心配そうに覗きこんできた。

「まだ顔色が悪いね、水でも飲む?」

兇の言葉にこくこくと真っ赤な顔で北斗は頷く。
兇はおもむろに立ち上がると隣のキッチンスペースに消えていった。
その間わずか数秒、北斗は固まったままベッドに縫い付けられたかのように微動だにしなかった。
暫くすると、兇は水の入ったコップを片手に戻ってきて北斗に差し出した。
北斗は差し出されたコップを両手で掴み一気に飲み干した。

「ふぅ〜」

冷たい水を飲み、幾らか体の緊張が解けた北斗は改めて兇を見上げた。
片膝をついているにも関わらず、ベッドに座る北斗より目線の高い兇にまた頬が熱くなっていく。
その熱を振り払うようにぶんぶんと顔を振ると、兇に向き直った。

「あ、ありがとう」

ようやく出てきた声はそんな言葉しか言えなかった。

「おかわりは?」

言われてキョトンとする。
言葉の矛先がさっきの水だとわかり、北斗は首を横に振った。

「ううん、もう平気。」

言いながらにっこりと笑う。
何故か兇は頬を赤くし、首だけ横に向けると「じゃ、じゃあ俺はこれで。」と立ち上がった。
その瞬間ざわりと空気が淀んだ。
反射的に後ろを振り返ると、コップを持ったままキョトンと自分を見上げる北斗がいた。
その北斗の首筋に鈍い線状の光がちらついたのを見た途端、兇は北斗の腕を勢い良く引いた。
その刹那、ざくっと音を立てながらベッドが切り裂かれた。
巨大な爪あとのような傷跡はマットをえぐり、中のスプリングまで引き裂いていた。
一瞬何が起こったのかわからなかった北斗はその異様な光景に驚愕する。

「え、な、なに?」

「那々瀬さん早く!」

兇の切羽詰った声に我に返る。
振り返ると部屋の中は見るも無残な光景を晒していた。
窓ガラスは割れ、カーテンは引きちぎられ、絨毯やテーブル、タンスなどありとあらゆるものが先ほどのベッドのように巨大な爪あとで抉られていた。
更に空気を切るような音が部屋中に響き、その音が聞こえるたびに部屋の中のものが切り裂かれていくのだ。
ありえない光景に北斗の顔は蒼白になり恐怖でガチガチと震えだす。
足がすくんで動けなくなった北斗の腕を掴み玄関へ向かおうと兇が動いたそのときだった。

ボッ

と音がしたかと思うとキッチンのコンロから巨大な火柱が上がった。
その炎は生きているかのように、ひと際巨大な火柱を噴き上げたかと思うと北斗めがけて伸びてきた。

「こっち」

炎がぶつかる寸前、兇は身を捻り炎をかわす。
炎はそのままベッドにぶち当たりそのままベッドごと、ごおっと音を立てて燃え始めた。

「あっ」

その光景を見て北斗が声をあげた。
兇の手を振りほどき一直線にベッドの横の机に向かって駆け出した。

「那々瀬さん!」

兇は慌てて後を追い、北斗の体を捕まえるとそのまま小脇に抱えるようにして、玄関に向かって走り出す。
逃げる兇が玄関のドアノブに手をかけようとした時、炎が兇の背中を掠めた。

「・・・・っ」

背中に走った激痛に一瞬動きが止まる。
その一瞬をついて炎がまた襲いかかる。
北斗は兇の腕の中で「もうだめだ」と固く目を閉じた。
その北斗の耳元に兇の怒気を孕んだ低い声が聞こえてきた。

「お前らには、渡さないって言ってんだろっ!!」

言葉と同時に向かってきていた炎が真っ二つに割れた。
その隙をついて兇は北斗を抱え玄関から飛び出した。
バタンと閉めたドアの向こうから、何かが激しくドアを叩く音やカリカリと爪で引っかくような気味の悪い音が聞こえてきた。
先ほどの惨劇を思い出し、恐怖を振り払うように自分を抱えて走る兇にすがりつく。
階段を降りる手前で自分の部屋のドアが一瞬だけ見えた。
そのドアノブの辺りには、何か光るようなものが絡みつき、かすかに鈴の音が聞こえたような気がした。






落ちていた意識が浮上していく。
ああ起きるんだ、と頭の片隅で思いながら慣れた感覚にゆっくりと目を開く。
そこには見慣れない天井があった。
暫くの間、はっきりしない頭でぼんやりと眺めていたが、突然がばっと起き上がるとキョロキョロと辺りを見回した。

―――ここはどこ?

記憶喪失の少女さながらな疑問を頭に浮かべながら何度も辺りを見回してみる。
何度も見てみたが、やっぱり知らない部屋だった。
もう一度ぐるりと部屋を見渡す。
改めて見てみると、この部屋はずいぶんと立派な作りをしていることがわかった。
先ほど見た天井には何枚もの板が格子状に組まれており、その天井から続く壁は土壁でできている。
廊下側には張りかえられたばかりの障子があり、床の間には掛け軸や花の生けられた花瓶が飾られていた。
自分が寝ていた床には真新しい畳が敷き詰められ、いぐさの香りが鼻腔をくすぐる。
普通の家とは全く違うその作りに、どこかの屋敷か旅館にでも来ているのかと首を傾げた。
日本家屋特有のその美しい作りにしばし見とれていると、ふと昨日まで自分が寝ていた部屋を思い出した。
無地の壁紙が張られただけの無機質な薄い壁、圧迫感のある薄汚れた天井、窓が小さいため日中でも薄暗いそこは安物のアパート特有の冷たい場所だった。
ぼんやりと部屋を眺めているとスッと障子が開いた。

「おはよう、よく眠れた?」

北斗は、開け放たれた障子の前で自分に微笑む相手を見て驚きの声を挙げた。

「な、す、鈴宮君なんで?」

口をパクパクさせながら目の前に立つ兇を指差す。

「あ、ここ俺の家。あの後、那々瀬さん気を失っちゃったから家まで連れてきたんだ。」

兇はそう言ってにっこり微笑んだ。

―――いや、連れて来たって・・・犬や猫じゃないんだけど・・・・。

屈託無く笑う兇を見上げ冷や汗を垂らしながら内心つっこむ。

―――て言うか、アパートは?あの炎は?どうなっちゃったの??

はたと昨夜の出来事を思い出し北斗は急におろおろし始めた。

「昨日のことは事故で片付きそうだよ。」

「え?」

急に黙り込んでしまった北斗の考えを読み取ったのか、兇は昨夜のことを説明してくれた。
北斗を襲ったのは何者かわからないが、あの後あの部屋から逃げ出せた兇は北斗を抱えたまま近くの公園まで辿り着いた。
様子を見に引き返そうとしたのだが、アパートの住民が異変に気づいて通報したのか、消防署や警察の車が既に到着しており、アパートの周りは野次馬だらけで中には入れなかった。
しかも起きているとばかり思っていた北斗が気絶していたのでそのまま引き返したそうだ。
その後は家に連絡をして車で迎えに来てもらい、そのまま北斗を連れ帰ったのだという。
そこまで聞いた北斗はみるみる内に顔が青褪めていき、額は冷や汗でびっしょりになっていた。

「ご、ご、ご、ごめんね鈴宮君!」

「迷惑掛けちゃった、ごめんなさい」と必死に謝る北斗を兇はやんわりと制す。

「別に迷惑だって思ってないし良いんだよ。でも、那々瀬さんが無事で良かった。」

心底安堵した表情の兇を見て、北斗は頬が熱くなるのを感じ俯いてしまった。

「怖かったよね。でももう大丈夫だから。」

北斗のすぐ横まで移動した兇は片膝をつきながら北斗に優しく語りかける。

「うん。」

兇の気遣いに心の中が不思議と安心していくのを感じ素直に頷いた。

「でも・・・」

「?」

歯切れの悪い兇の言葉に、北斗が訝しげな瞳を向けていると兇は意を決したように言葉を続けた。

「これからが大変かもしれない。」

兇の含みのあるそのひと言に内心首を傾げる北斗だったが、兇の次の言葉に耳を疑った。

「言い辛いんだけど・・・那々瀬さんの部屋、全焼だって。」

え・・・

「ええぇぇぇぇぇぇぇ〜〜〜〜」

広い広い屋敷の中、北斗の悲痛な叫び声が響き渡った。


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