北斗は目の前で起きた光景に目を瞠っていた。

至近距離まで近づいて来た悪霊に突然首を掴まれ、朦朧とする意識の中で『もう駄目だ』と諦めそうになった瞬間。

聞こえてきた悲鳴。

気づいた時には、目の前の悪霊が苦しそうにもがいていた。

「那々瀬さん!!」

目の前でのたうち回る悪霊を呆然と見ていると、聞き慣れた懐かしい声が聞こえて来た。
驚いて振り返ると、真っ暗な闇の向こうから兇がこちらに向かって駆けて来るのが見えた。

「兇君!」

待ち望んでいた人物を見つけて北斗の涙腺が緩む。
駆け出そうと一歩踏み込んだ瞬間、北斗の横を鋭い光が何本も通り抜けていった。

「え?」

北斗はその場に踏み止まり、通り過ぎていった光を追って振り返る。
そして目にした光景にまたしても目を瞠った。
そこには――

顔や体
腕や足

体中を細い光に貫かれた悪霊の姿があった。

北斗は思わず光が飛んできた方向に振り返る。
そこには、いつもとは違う冷たい眼をした猛が立っていた。

「猛……さん?」

離れた場所に立つ猛を一瞬、怖いと思った。
何故か知らない人でも見るかのような気分になってしまった。
そして自分でも気づかないうちに震える声で彼の名を呼んでいた。

「大丈夫、北斗ちゃん?危なかったねぇ。」

対する猛は何事も無かったように、いつもの笑顔を向けながら北斗に声をかけてきた。
己の身を案じる猛はいつもの猛のはずなのだが……。
しかしひとたび悪霊へと向けられた視線に北斗は息を飲んだ。

冷たい
冷たすぎる視線

憎悪とさえ取れるその視線に、北斗は知らず後退る。
そこへ兇が駆けつけてきた。

「那々瀬さん、怪我はない?」

そっと触れてきた大きな手に、北斗の心が安堵する。
そしてはっと気づくと、北斗は慌てて走り出した。

「那々瀬さん!?」

突然走り出した北斗を、兇が驚いた表情をしながら呼び止めた。
しかし北斗は兇の言葉に振り返らなかった。
そして悪霊の前に辿り着くと、両手を広げて猛の方へと向き直った。

「やめてください!」

北斗の言葉に猛の目が見開く。

「北斗……ちゃん?」

何を言い出すの?――猛の驚いた瞳がそう語っているようだった。

「お願いです……これ以上は……もう……。」

北斗は眉根を下げながら猛へ懇願すると、悪霊に視線を移した。
その視線の先には――

無数に貫かれて弱り切った悪霊がいた。

意識が無いのか、悪霊は力なくその場に座り込み、俯いたままピクリとも動かなかった。
北斗は恐れも忘れて悪霊の側へと膝をつく。
そして、右手に握り締めていた鈴を悪霊へと差し出してきた。

「多分これがあれば、あなたは成仏できます。」

真っ直ぐな瞳で悪霊を見つめる。
北斗の言葉に息も絶え絶えだった悪霊が視線を上げた。

じっと北斗の手の中の鈴を見つめる。

ゆっくりとその鈴を手に取ろうとした時、兇が駆けつけてきた。

「那々瀬さん!?」

北斗へと駆け寄ろうとしたその時――

兇サマ!!

悪霊の気配が膨れ上がった。
北斗の目の前で悪霊は影のように伸びて広がった。

お前に……渡さない!!

北斗と兇を交互に見やった悪霊はそう叫ぶと、北斗めがけて襲い掛かってきた。
悪霊の鋭い歯が北斗の首筋に届く寸前――



ドドドドドドドドドドドド



あの鋭い光がまたしても悪霊を貫いた。
今度は数え切れないくらいの量で。

蜂の巣

と化した悪霊の姿は見るも無残で
酷すぎて……

北斗の時間がゆっくりと進んだ。
それはほんの一瞬。
瞬きをするくらいの時間であったのだが。
北斗には本当に永遠とも思えるくらいゆっくりに感じたのだった。

交差する瞳。

一つは無数の光の刃に貫かれ絶望の色に染まり。
一つは危機を守られ安堵と悲しみの色に染まっていた。

二人の視線が交差し、そしてゆっくりと離れていった。
そして――

悪霊は消えた。





目の前で終わった出来事に北斗は思わず目を逸らしていた。
沈黙が辺りを支配する。
黒い霧の晴れた校舎の裏は酷く静かだった。

「猛!!」

その沈黙を破るかのように兇が怒鳴る。
怒鳴った相手は猛だった。
何故、と非難の視線が猛に向けられる。
しかし猛は少しだけ肩を竦めてみせると、こう言ってきた。

「仕事だからねぇ。」

仕方が無いでしょ?と言ってきた猛の言葉に兇はぎりっと歯軋りした。

「だからって!」

兇が尚も言葉を続けようとした時、猛が徐にこちらへと歩いてきた。
何をするのかと思わず言葉を飲み込む兇。
猛はそんな弟には目もくれず、真っ直ぐに北斗の方へと向かっていった。
そしてポン、と北斗の肩に手を置くと優しい声で言ってきた。

「北斗ちゃんのせいじゃないよ。」

見ると北斗は泣いていた。
それに気づいた兇は思わず駆け寄る。

「那々瀬さん?」

猛への非難も忘れて心配そうに顔を覗き込む。
そんな二人の青年を見上げながら北斗はぽつりぽつりと話し出した。

「あの人……とっても可哀想な死に方して……信じていた人に裏切られて……それで、それで……」

ぼろぼろと涙を零しながら必死に伝えてくる北斗の言葉に、猛は「うん、うん」と相槌を打ちながら聞いていた。
そしてすべてを話し終えた北斗に、猛は優しい優しい声でこう伝えたのだった。

「よくがんばったね北斗ちゃん。」

その言葉に北斗は顔を上げる。

「私……私、何もしてない……助けてあげられなかった。」

涙でぐしょぐしょの顔が更に歪んだ。
猛はそんな北斗を優しい顔で見下ろしながら諭すように言ってきた。

「でもね……」

”助けてあげられる霊なんて一握りなんだよ”


その言葉に北斗の眼が見開く。
信じられない、といった表情で猛を見上げてくる。
そんな北斗に猛はくすりと笑みを作るとそっとその頭を撫でた。

「僕が相手をする霊はみ〜んなあんなのばっかりだからねぇ、助けられる方が奇跡に近いんだよ。」

そう言って笑ってきた猛の言葉を理解した北斗は更に涙を流した。

「それじゃ、猛さんは……」

「ごめんね、嫌なこと手伝わせちゃって」

ぼろぼろとまた泣き出した北斗の頭を優しく撫でながら猛は謝罪の言葉を紡ぐ。
そんな猛に北斗は何度も首を振った。

そんな二人を兇は静かに見守っていた。
兇は自分も共犯だと声には出さずに北斗へと謝っていた。
猛の仕事がどういうものか知っていた。
あの霊がどういう末路を辿るのかも。
しかし何とかできると思っていた。
猛が手を下す前に自分が何とかできると……。
しかし結果は猛が言った通りになってしまった。
あの悪霊は助けられず、消えてしまった。
自分の力の至らなさに嫌気が差す。
兇が内心で自責の念にかられていると、突然猛が暢気な声で呟いてきた。

「それにしても北斗ちゃんは凄いねぇ。」

にこにこと先程の戦いの時の姿が嘘のように朗らかな笑顔で北斗を見下ろしていた。

「え?」

そんな猛を涙で濡れたままの顔で北斗は見上げてきた。

「だってあの悪霊とコンタクト取れたんでしょう?僕でも出来なかったのに。」

呆ける北斗のおでこを人差し指でつつきながら猛はにこにこと北斗を褒め称える。

「え?え?」

その言葉の意味がわからず慌てる北斗。

「結構素質があるのかも♪」

茶化しながらそう言った猛が、北斗の頬へとキスをした途端

「猛!!」

横から兇の鉄拳が飛んできたのだった。

いつもの調子に戻った三人の頭上には既に朝日が昇り始めていた。



第二章完
第三章へ続く

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