「私を帰して」

真っ暗な闇の中、二人の少女が対峙する。

一人は生身の生きている少女と。
もう一人は既にこの世を去った幽霊の少女。

二人だけが存在する闇の中で、お互いをじっと見据えていた。

「私を帰して」

右手を強く握り締めながら、北斗は震える声で目の前の悪霊に向かって同じ言葉を繰り返した。
その強い視線と声に、悪霊の少女は軽く驚いたように目を瞠っていたが
そのすぐ後に――

くすり

何故か笑った。

口元にだけ浮かべた微笑。
それは目の前の無知な少女に向けて嘲りを含んでいて――

『帰れると……思っているの?』

悪霊は可愛らしく首を傾けながら訊ねるように言ってきた。
その幼い子供のような動作に北斗の顔色が変わる。

『貴女は帰さない』

そんな北斗の顔を見ながら面白そうにくつくつと喉の奥で笑うと、悪霊の少女は断言してきた。

「な、なんで?」

悪霊の言葉に、ごくりと喉を鳴らしながら北斗が問い返した。
その瞬間、悪霊の少女から微笑が消えた。
すっと目を細め北斗をじっと見つめる。
何の感情も表さない瞳を北斗に向けたまま、悪霊の少女はゆっくりと口を開いた。

『だって、貴女……』



大事にされていたじゃない



その瞬間、北斗の体から冷たい汗が噴き出した。
感情を表さないと思っていた悪霊の瞳は、今は燃えるような瞳を北斗に向けていた。
強い強い憎悪が――

突き刺さる

ズキン、と痛みを感じた胸元を押さえながら北斗はごくりと生唾を飲み込む。

「だ、大事に?」

そう呟くのが精一杯だった。
深い憎悪を写した瞳に、北斗の体は硬直し金縛りにあったかのように身動きが取れない。
辛うじて動いた指先で手の中の鈴をぎゅっと握り締めた。
そして――
恐怖で竦んだ北斗に、悪霊がゆっくりと近づいてきた。

「こ、来ないで!」

北斗は反射的に後退りし、ありったけの声で叫んだ。
体中の皮膚の内側が、すぅっと冷たくなっていく。
恐怖で青褪める北斗に、悪霊は構わず近づいてきた。

『大事にされて』

一歩。

『守られて』

また一歩。

『愛されて』

さらに距離が縮まって……



『私から……彼を奪った!』



悪霊の少女は北斗の至近距離まで近づくと、かっと目を見開き北斗の顔を覗き込んできた。
その近さに北斗の瞳に涙が浮かぶ。
がちがちと歯と歯が音を立てる。

「ち、違う……」

震える唇から掠れた声が漏れた。
必死になって首を振る。

違う違うと

私はあなたの彼を奪ってなんかいないと
必死に訴えた

しかし――

『いいえ、貴女は奪った……私から……兇様を!』

その言葉に北斗は目を瞠る。
目の前には本気の目をした悪霊。

――違う、この人……

混同してる!?

北斗は悟った。
悪霊に向けられた瞳が、魅由樹のそれと重なっていることを。

――このひと……。

気づいた事実に北斗は驚愕した。
悪霊は、魅由樹の想いまでも取り込んでいた。
先程見た記憶の彼と兇を同一にしていた。
そう理解した瞬間――

「違う……兇君は関係ない!!」

北斗はありったけの声で叫んでいた。

何度も何度も
違うと
必死に

「兇君はあなたの彼じゃない!違う!!」

しかし、北斗がそう必死に叫んだ瞬間

悪霊の姿が豹変した。

表情には影が落ち。
憎悪に満ちた瞳は闇色に染まり、その中心に仄暗い紅い光が灯る。
柔らかいウエーブの明るい色の髪は、ざわざわと蠢いたかと思った瞬間、真っ黒に染まり。
着ていたシフォンのワンピースも白から黒へとがらりと色を変えていった。

爛々と光る瞳。
真っ黒な衣装。
黒い黒い深い闇の色。

がらりと姿を変えた悪霊は、取り憑かれた魅由樹の姿に酷似していた。
目の前で変わっていく悪霊の姿に北斗が驚いていると、突然首に圧迫感を感じた。
驚いて見下ろすと、悪霊の黒い腕が己の首の方へと伸びているのが見えた。

「う……」

気づいた瞬間、さらに強い圧迫が北斗の首を襲った。 掠れた悲鳴が喉から漏れる。
北斗は堪らず悪霊の腕をつかんでもがいた。
しかし、悪霊の拘束の力はそんな事では怯まず、さらに北斗の喉を締め上げてきた。
ぎりぎりと力が指に込められていく。
持ち上げられる体。
悪霊の片手が更に北斗の首を締め上げる。

「うぅ……」

北斗の喉奥から苦しそうな声がまた漏れた。
じりじりと、いたぶるようにゆっくりと力を込めながら悪霊は更にこう言ってきた。

『あの人の隣に居るのは……』

わたくしよ!!

そう悪霊が叫んだ瞬間。
眩い光が体を貫いた。





暗黒の壁が立ち塞がる体育館倉庫の裏。
目の前の壁に向かって猛の力が収束していっていた。
手の平に集まった数十個の鈴達は一つに塊り、眩い光を放ち出す。
膨れ上がるその光。
光は大きくなりながら細く長く伸びていく。
猛の手の平に納まり切らないほど巨大な光の塊りとなったそれは、一本の槍へと変化した。
神々しく光を放つ黄金の槍。
猛はその槍を手に持つと、鋭い切っ先を目の前の黒い壁へと放った。
高速で壁に向かっていった槍はぶつかる寸前、数百もの小さな槍へと分かれると黒い壁に大きな穴を開けながら中へと飛んで行った。

「行くよ兇。」

猛は飛んで行った槍の方角を見ながら背後の弟へそう言うと、自身もその黒い壁の中へと入っていく。
小さくなっていく兄の背を見ながら兇は小さく吐息を吐くと、その後を追って中へと入っていった。





何が起こったのかわからなかった。

突然襲った腹部の痛み。
込み上げてきた何かに咳き込むと、口から鮮血が飛び散った。
腹部を押さえると、硬い何かが手に触れた。
続いてぬるりとした感触。
見下ろすと、己の腹に光を放つ棒の様なものが突き刺さっていた。
皮膚を破り肉を貫いたそれには、己の体から流れ出た血がぽたぽたと伝って落ちていっていた。

最初何が起きたのかわからなかった。

目の前の女を貫こうとした瞬間、自身が貫かれていた。







ぎゃあぁぁぁぁぁぁぁ



辺りに絶叫が木霊する。
体を貫かれた悪霊が苦悶の表情を浮かべて叫んでいた。

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