「おかえり北斗ちゃん!」

ただいまと言いながら玄関を開けると血相を変えた猛が抱き付いてきた。

「もう帰って来ないかと心配したよ〜〜。」

突然抱きつかれ声も出せずに驚く北斗。
そんな北斗を他所に、ぎゅうぎゅうと抱きしめる腕に力を籠めながら猛は切なそうに叫んだ。

「え、なんですか突然?」

北斗の頬にすりすりと擦り寄る猛の言葉に北斗は目を丸くして聞き返す。
この際、猛の過剰な愛情表現は無視だ。

「聞いたよ菊から、北斗ちゃん家を出たいんだって?」

眉根を情けなく下げながら猛が悲しそうに聞いてくる。

「いや、それは・・・」

――菊さ〜ん、何で言っちゃうの〜!

内心、昼間の事をばらした菊に涙ながらに呟くと、しどろもどろといった感じで言葉に詰まった。

「家なんて出ること無いよ、北斗ちゃんはずっと此処に居ていいんだからね!」

身長差のある北斗を見下ろしながら猛は真剣な表情で力を籠めて言う。
その言葉にずきりと心が痛んだ。

「ぎゃっ」

北斗が何かを言いかけた時、猛の潰れた声が聞こえてきた。
目の前では北斗の肩を両手でしっかり掴んではいるものの、顔だけ何故か左の方へ思い切りずれている猛が居た。
いや・・・・ずらされたと言うべきか。
猛のその横――左隣には眉間に皺を寄せた兇が立っており、その右手は渾身の力を籠めて猛の顔を壁に押しつぶしている。

「那々瀬さん」

「あ、は、はい!」

大惨事な猛の事は綺麗に無視し、兇は北斗の顔を真正面から見下ろしながら声をかけてきた。
その真摯な声に北斗は思わずぴしっとしながら返事をしてしまった。
続いて、かあぁぁと顔を赤面させたかと思うと俯いてしまった。
真面目に返事をした自分と昼間の菊の言葉に兇の顔がまともに見れなくなってしまったのだ。

「家を出たいって本当?」

しかし、そんな北斗の変化を意に介さず兇は真剣な眼差しのまま聞いてきた。
その瞳はどこか悲しそうで――
北斗は恥ずかしさも忘れ兇に視線を合わた。

「あ、あの・・・この家が嫌とかじゃないの。」

「・・・・」

「そ、そりゃ幽霊とかまだ怖いけど皆良い人達ばかりだし、このまま一緒に居れたらなとか思ってるんだけど・・・」

北斗はいったん言葉を切ると、意を決して続けた。

「事件が解決したし、その・・・いつまでもお世話になってるのは悪いかなって思って。」

「そんなこと、気にしなくていいのに。」

兇は内心動揺しながらも力強く頭を振って引き止めた。

「で、でも・・・その、鈴宮君の家とは何の関係も無いし・・・」

だから、と俯きながら北斗が掠れる声で答える。

「・・・・」

それ以上兇は何も言えなかった。
北斗の言葉は正論で、彼女は当たり前の事をしようとしている。
しかし、自分は――
彼女をこの場所に留めたいと思っただけ。
何と幼稚な事か。
己の欲望のままに行動しようとした自分に舌打ちする。
そんな兇の心の内の葛藤を知らない北斗は、兇が黙った事を肯定と取ったのか靴を脱いで家に上がると「ごめんね」とだけ言うとその場を去って行ってしまった。
彼女の消えていった廊下をゆっくりと振り返りながら兇は深い溜息をその場に零した。





「あの、北斗様」

自室で就寝の準備をしていると廊下の方から控えめな声が聞こえてきた。
声のした方を見ると少しだけ開けた障子の影から申し訳なさそうな顔をした菊がこちらを覗っていた。

「ひっ」

普通の人間でしかも美しい女性ならとても絵になっていたであろうその仕草は、幽霊である菊がするとなぜかおどろおどろしいものに見えてしまうから不思議だ。
北斗は口の中で小さく悲鳴が漏れたが、なんとか平静を装って「何?」と聞き返した。

「少しお時間頂いても宜しいでしょうか?」

菊の言葉は意外なものだった。

「お待たせ致しました。」

菊は茶菓子とお茶の乗ったお盆を置くと北斗の横に腰を下ろした。
それを見て北斗はくすりと笑うと

「そんなに気を遣わなくてもいいのに」

と少し困った風に言った。

「いいえ、先程のお詫びです。重ね重ね申し訳ありませんでした。」

菊は昼間の時と同様深々と頭を下げた。

「あ、うん。その事ならもういいんだ。」

北斗はにっこりと微笑んだ。
そんな北斗を見て菊は小さく溜息を零すと、夜空に浮かぶ月を見上げながらぽつりと話し始めた。

「最初は坊っちゃん達には言わないでおこうと思ったんです・・・・でも・・・・」

いったん言葉を切り、北斗に視線を向ける。

「ダメでした。」

言いながらにこりと笑った。
北斗は黙って聞いていた。
自分は静かに彼女の話を聞いていなきゃいけないと思った。

「私やっぱり北斗様には此処に居て欲しいんです。」

菊の言葉に北斗は目を瞠った。

「坊っちゃん達に言えば何とかしてもらえると思って・・・だから申し訳ありません。私の勝手な気持ちで言ってしまいました。」

そう言うと菊は再度深く頭を下げた。
北斗は自分の顔が赤くなっていくのを感じた。
恥ずかしいせいではなく、嬉しかったから。
涙が出そうになった。
ぐっと堪えるのに顔に必要以上に力が入ってしまった。

「ありがとう。」

頬を染めたまま北斗は、はにかむ様に菊に微笑んだ。

「北斗様」

「怒ってないよ、ありがとう菊さん。」

二人照れたように笑い合った。
暫くの間菊と他愛無い話を続けていた北斗は、ふと疑問に思い菊に聞いてみた。

「そういえば、菊さんは何でここにいるの?」

鈴宮君に黄泉へと送ってもらわなかったの?と首を傾げた。
北斗の質問にそれまで笑って話をしていた菊は急に大人しくなってしまった。
見ると明るかったその表情までも影を落としたように暗くなっている。

「な、何か悪い事聞いちゃったかな?」

ごめんね、と北斗は慌てて謝った。

「いえ、いいんです。」

菊は慌てて頭を振った。

「そうですね、北斗様にはお話してもいいでしょう。」

菊は北斗の顔を見ると優しく微笑みながら言った。
そして、ぽつりぽつりと昔語りを始めた。

「生前、私は奉公先で取り返しのつかない失敗をしてしまいまして、旦那様に散々責められた挙句、それを苦に自殺してしまいました。
死後、私を責め殺した旦那様を恨んでいた私は毎夜旦那様や屋敷の者達を脅してはその恨みを晴らしていたのです。
しかしその旦那様たちが亡くなっても無念の残る私は自縛霊となってこの地に縫いとめられてしまいました。
そんな私を助けて下さったのが鈴宮家の当主様でした。
以後私は自らの罪が消えるまでここで使用人として遣える事となったのでございます。」

菊が話し終わると辺りがしんと静まり返っていた。
隣にいるはずの北斗から何の反応も無い事に怪訝に思った菊はそっと北斗の方を見た。
北斗は泣いていた。
口元に手を当て嗚咽を堪えていた。

「北斗様?」

そんな北斗の様子に菊は驚き名を呼んだ。
北斗は菊の方へと顔を向けると震える声で呟いた。

「ごめんね。」

「え?」

「そんな辛い過去があったなんて・・・」

掠れる声でそう言うと北斗は肩を震わせて涙を流した。
「も、申し訳ありません。そんな泣かせる気などありませんのに・・・」

北斗の涙にオロオロしながら菊が謝るのを北斗は頭を振って遮った。

「ううん、私その話知ってる。有名な話だもの、まさか菊さんが当人だったなんて思わなかった。」

昔読んだ本を思い出し、北斗はまた涙を零した。
幽霊を嫌う自分に友達が面白半分で貸してきた怪談話。
その中には家宝のお皿をたった一枚失くしただけで無残にも殺された可哀相な女性がいた。
読んでいて怖いと思いながらも、その薄幸な女性に同情していたのをよく覚えている。
ぽろぽろと自分の為に涙を流す北斗を優しい眼差しで見つめていた菊は、そっと北斗の頭を抱き寄せて言った。

「ありがとうございます。北斗様の涙が私の罪を洗い流してくれるようで菊はとても嬉しいです。」

北斗の涙を着物の袖で拭いながら菊は微笑んだ。

「ふえ・・・」

「そんなに泣かないで下さい。私が死んだのはもう何百年も前の事なんですから。」

北斗の可愛い泣き顔を見ながら菊は苦笑しながら言った。
そう、もう何百年縛らているのか判らないほどの罪。
でもその罪はまだ自分を縛りこの地に留めているのも事実で。
あとどれ位の月日を数えればこの身は浄化されるのか。
己のしてきた罪の重さに自嘲の笑みが零れた。

「菊さん?」

突然笑い出した菊に北斗は驚いて呆気に取られた。

「いえ、でも私が罪を犯して成仏しなかったお陰で、北斗様に会えました。」

それはとても喜ばしい事ですよ、と言って菊は嬉しそうに笑った。

「本当?」

「はい、こうやって私の為に北斗様が涙を流してくれた。それだけで菊は幸せです。」

そう言って菊はまた顔を綻ばせて笑った。

幽霊は嫌いだ。

悪霊に殺されかけたりもしたせいで昔より更に嫌いになっている。
でも
この目の前の幽霊は怖くはないと思った。
だからだろうか?
涙を拭ってくれる手も。
肩を優しく抱いてくれる手も。
温かいと思ったのは。

――相手は幽霊なのに何か変な感じ。

冷たいのが当たり前なのに、北斗は思わず笑ってしまった。
それを見た菊は「やっと笑ってくれました」と嬉しそうに笑った。
空に輝く月に照らされた中庭で、くすくすと笑いあう声がいつまでも響いていた。





「なんか・・・大丈夫みたいだね。」
「ああ。」
笑い合う二人の女性の姿を覗き見ながら二人の男がぼそぼそと囁き合う。

「僕たち出番ないね。」

「・・・・・・」

「よし今夜は僕が添い寝をして元気づけてあげよう♪」

「や・め・ろ(怒)」

「ぐふっ・・・」

鈴宮家の廊下の曲がり角で鈍い音が響いた。
気絶した猛の襟首を掴んで引き返しながら兇は先程の場所を振り返った。

「どんな場所へ行ってしまっても俺が君を守るよ。」

願わくばこのままずっと傍に居て欲しいけどね。
滅多に出さない己の欲望を言葉に紡ぎ、優しい眼差しを彼女に向けるとそのまま奥へと消えていった。

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