兇は呆然としていた。
偶然目撃した光景に愕然となった。
先程目の前で繰り広げられた光景はあからさまな”いじめ”であった。
こともあろうに女子生徒の一人が、北斗に向かって石を投げつけていたのだ。
幸いその石は彼女の腕を掠めただけで済んだのだが・・・。
あれが頭や目に当たっていたらと思うと恐怖で体が震えた。

――自分のせいだ。

兇は己の失態を罵った。
あの場所であんな事するんじゃなかったと後悔したが、すでに後の祭りだ。
事の発端はきっとあの時だ。
珍しくお弁当を忘れた北斗に母に頼まれたとは言え、教室でしかも他の生徒達が見守る中、彼女に直接手渡してしまった。
焦っていたのだと思う
昨日の彼女との会話が気になっていた。
家を出たいという彼女。
何故?どうして?と動揺したのは言うまでもない。
きっかけは何であれ、彼女と一緒に居られるのは嬉しかった。
ずっとずっと続けばいいと思っていた。
しかし、朝、自分を避けるように先に学校へ行ってしまった彼女。
酷く動揺した。
不安だった。
このままでは彼女が遠くに行ってしまうんじゃないかと。
焦っていた。
だからあんな失態を犯してしまったのだ。
その時の状況を思い出し兇は更に自責の念に苛まれた。
気がついた時には数人の女生徒達が彼女に敵意を剥き出しにしていた。
まずいと思い彼女達に弁解しなんとか誤魔化そうとしたが、彼女達は全く耳を貸さなかった。
あの時の女生徒たちの顔を思い出す。
何でお前が、と憎悪に満ちた瞳で北斗を睨みつけていた。
ふつふつと沸き起こる怒りや嫉妬が体に突き刺さるようで、さすがの兇もぞくりと背中に寒気が走った。

――これ以上彼女の傍にいてはいけない。

そう思った矢先。
がらりとドアの開く音が聴こえた。

「よう、こんな所でな〜にやってんだぁ〜?」

飄々とおどけた口調で教室へと入ってきたのは光一だった。
言葉と声はのんびりと穏やかなそれだったが、目は笑っていなかった。
他の生徒は既に下校しており、この部屋にいるのは兇と光一だけ、誰も居ない教室で互いに睨み合う様に対峙した。

「何やってんのお前?」

無言で光一を見つめる兇に、光一が呆れたような口調で聞いてきた。

「何って・・・」

光一の言葉に何と答えて言いか言い淀む。

「なあ、お前今どういう状況かわかってんのか?」

そんな兇に、光一は真剣な顔を向ける。

「わかってるよ、だから俺はこれ以上彼女に近づいちゃ」

「それ本気で言ってんの?」

兇の言葉を遮るように怒気を孕んだ光一の声が重なった。
光一の言葉に兇は言葉を失った。
助けると、どんな事があっても助けると言ったのは他でもない自分であった。

「お前ってさ、本当に北斗の事好きなわけ?」

そんな兇に光一は頭を掻きながら溜息混じりに聞いてきた。
その言葉に弾かれたように顔を上げる。

「何が言いたいんだ」

兇はそう言うと、光一の顔をまじまじと見つめた。

「だってよ〜、お前ってなんかこう、惚れた相手は何があっても守り通す奴だ〜って、思ってたんだけどな。」

俺の勘違いだったか?と、どこかがっかりした様に光一が言った。
光一の言葉に兇は目を瞠った。
その瞬間、兇の脳裏に彼女の姿がフラッシュバックした。

泣いている彼女
怯えている彼女
怒っている彼女
家の皆と楽しく話している彼女
猛と兇の兄弟喧嘩を見て苦笑している彼女
そして――
満面の笑顔で自分を見上げてくる彼女

――俺は・・・・。

「な〜に遠慮してんの?好きだったらさ、がつんとやって来い!」

俯く兇の肩をぽんと叩くと、光一は親指を立ててにかっと笑った。
兇は顔を上げると

「ああ」

と力強く頷いた。





その次の日から兇は光一と約束した通り行動を起こした。

「あ・・・」

学校へ行こうと玄関を開けた北斗は小さな声をあげた。
北斗の視線の先――入り口の門の所で兇が待っていた。

「おはよう」

兇は北斗に気づくと爽やかな笑顔と共に声をかけてきた。

「お、おはよう・・・」

北斗は動揺しながらも挨拶を交わすと、俯きながら足早に兇の横を通り過ぎようとした。
しかし、北斗の行動を予測していたのか兇はさも当然とばかりに北斗の隣に並んで歩き出した。

「たまには一緒に学校に行こうよ。」

にこやかに笑顔を向けながら言う兇に北斗は目を丸くした。

「あ、でも・・・」

北斗は何と言っていいかわからず言い淀む。
しかも北斗がおろおろしている間に、兇は北斗の手を取ると引きずるように歩き始めてしまった。
焦ったのは当然北斗で、手を握られて歩く状況に心底焦った。

――そ、そんな事されたら余計に・・・。

北斗は兇の手を振り払おうとした。
しかし、予想以上の力で握り返され振り払うことが出来なかった。
驚いたように兇を見上げると、そんな北斗に手を繋いだままの状態で兇は振り返り爽やかな笑顔で言ってきた。

「これから毎日一緒に行こうね。」





北斗は困っていた。
こんな状況で何故兇がこんな事をするのかわからなかった。
これでは火に油を注ぐようなものではないか?
今現在、深刻な問題を抱えている北斗は更に悪化するであろうその問題に頭を抱えた。

――あ〜んもう、人の噂も75日!ほっとけばその内無くなると思っていたのに〜!

北斗は背後で突き刺さる視線に溜息を吐いた。
あろうことか、兇は教室に入るまでずっと北斗の手を離してはくれなかったのだ。
案の状、今朝兇と手を繋いで登校して来た北斗はみんなの注目の的だった。
いつもと違う光景に、目を瞠る者。
ヒュ〜と面白がって冷やかす者。
憎悪を込めて睨んでくる者。
反応は三者三様だった。
しかも、兇の意外な行動はそれだけでは終わらなかった。

――何考えてるんだろう?

北斗はそんな事を考えながら隣をチラリと見ながら溜息を吐いた。
あろうことか、休み時間の度に兇は北斗の元を尋ねて来るのだ。
今もこうして北斗の席の隣に立ち、にこにこと笑顔で話しかけている。
他愛ない話をし、にこにこ笑いかけてくれるのは嬉しいが、北斗は気が気ではなかった。

――あああ、またあの子達が睨んでるぅぅぅぅぅ!

教室の後ろで腕を組んでこちらを睨む女生徒達に北斗は内心冷や汗を流した。

――うう、鈴宮君守ってくれているんだろうケド、逆効果だよ!

北斗は内心兇の親切に涙を流しながら首を振った。
兇は優しい。
優しすぎる故に時々ズレているのかもしれない。
北斗は本気でそう思った。
確かに兇が傍に居る間は他の女生徒達は手を出してはこない。
現に今日はまだ一度も被害には遭っていなかった。
遭っていないからこそ、これから何が起こるかわからないという恐怖に北斗は怯えていた。
兇と一緒に居れば安心だ……安心なのだが、そういつまでも一緒と言うわけにはいくわけが無く。
実は次の時間、最後の授業は体育だった。
しかも男女別々に授業は行われるらしく兇とは離れ離れになってしまう。
彼女達がこの機会を見逃す筈は無いと、北斗はえも言えぬ恐怖を感じていた。

――こ、怖いぃぃぃぃぃ〜!何されるんだろう・・・・。

これから起こる悲劇に北斗は冷や汗を流しながらガクガクと震えるのであった。





そんな北斗を遠巻きから見ていた若菜がぽつりと零した。

「何なのよアレ?」

横にいる人物を睨み上げると、隣にいた人物は肩を竦めて冷や汗を流す。

「いや・・・ははは、昨日相談された通りにやったつもりなんだけどなぁ〜・・・・」

隣の人物は困ったように眉根を下げて言い訳をした。

「あれじゃ逆効果じゃない・・・」

若菜は眉間の皺を深くして凄む。

「だ、だって・・・」

隣の人物は恐怖で身を竦ませて後退りした。

「仕方ないわ、次の手を考えましょう。」

若菜はそう言うと、じっと北斗の姿を見据えていた。

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