校舎の裏側、焼却炉に続く道を歩いていたその時。

ガシャン

突然それは起こった。
掃除の時間も残り僅かとなった頃、教室に備え付けられている大きなゴミ箱を焼却炉へと北斗達が運んでいると、足元に植木鉢が落ちてきた。
落ちてきた鉢は粉々に割れ、中に植えられていたガーベラの花や土は辺りに散らばり無残な姿になっていた。
北斗は青い顔のまま植木鉢が降ってきた方を見上げる。
だが、そこには何も無かった。
見えるのは晴れ渡る空ばかり、校舎の壁は北斗達の場所から数十メートルも離れた場所にある。

では、どうやって落ちて来たのか?

ありえない光景に北斗の背筋がぞくりと粟立った。

「北斗・・・」

一緒にゴミ箱を運んでくれていたクラスメートの女子も、その異様な光景に同じように青褪め北斗の顔を見ていた。





その後も奇妙な出来事は続いた。
先程の鉢植えはもちろん、誰も居なかった筈の階段でいきなり突き飛ばされたり、トイレの鍵が開かなくなるなど様々な「ありえない事」が起こった。

――もう、もう・・・これは怪奇現象なんじゃないの〜?

北斗は心の中で絶叫していた。
目の前で起こる出来事に北斗はそうとしか思えないと付け足す。
北斗のいる場所――教室では今まさにその怪奇現象が起こっていた。
数学の授業中、突然天井にあった蛍光灯の明かりが消えた。
しかも各机に出ていた教科書たちが誰も触っていないのに一斉に開き、もの凄い速さでページが捲れバサバサと不快な音を立てている。
その異様な光景に、生徒達は真っ青な顔をしながら叫びだした。

「キャー」

「うわ〜何だこれ?」

「ま、待ちなさい貴方達!」

目の前で起こる異常事態に皆浮き足立ち、我先にと教室を飛び出していく。
先生も最初は制止の声を張り上げていたが、ドンッと後ろにあった黒板消しが暴れだし黒板を叩き出すと「ひぃっ」と悲鳴を上げて慌てて逃げて行ってしまった。

「那々瀬さんこっち!」

兇に呼ばれたと気づいた時には、ぐいっと腕を引かれていた。
そのすぐ後に、バサバサと北斗が居た場所に大量の教科書が落ちてくる。

「す、鈴宮君!」

「ここを出るよ」

そう言って北斗の腕を引きながら素早く教室を脱出した。
教室を出る際、兇はあの数珠を取り出し教室の中に放り込んだ。
するとカッと眩い光が弾け部屋中を包み込むと、さっきまで煩かった黒板や教科書たちは嘘のように大人しくなった。

「那々瀬さん早く!」

ポカンとその光景を見ていた北斗は兇にいきなり腕を引かれ、そのまま教室から離れていった。


走って走って、ようやく立ち止まった場所は保健室の前だった。
ゼエ、ゼエと肩で息をしている北斗を兇は気遣いながら保健室の扉を開く。
勢い良く開けた扉の先には、のほほんとコーヒーを片手に新聞を読む猛の姿があった。

――こ、この緊急時にこの人は・・・・

先程の怪奇現象を知らない幸せな保健室の住人に、北斗は羨ましそうな視線を向ける。

「あれ、どうしたの二人ともそんなに息切らして?」

保健室の扉の前で、はあはあと肩で息をしている兇と北斗に猛は涼しい顔で聞いてきた。
その言葉に兇はぴくりと片眉を痙攣させると、ずかずかと足音荒く猛の側まで近づいていく。
そして、だんっとテーブルを力いっぱい叩いた。

「どういうことだ?」

猛を見下ろす兇の瞳は真剣そのもので、秀麗なその顔は怒りに満ちていた。
スチール製のテーブルがきしりと音を立てて歪む。
兇の手の形に沈んだそこを見ながら猛はやれやれと肩を竦めた。

「これ、学校の備品なんだけど?」

「そんな事を聞きに来たんじゃない!」

絶対零度の視線で見下ろされながら猛は手に持っていた新聞を畳むと「ふぅ」とひとつ息を吐く。

「だから仕事だって言ったでしょ。」

と、お得意の悪魔の笑顔で爽やかに言ってきた。
その言葉に兇は目を瞠る。
その時、廊下から悲鳴が聞こえてきた。

「な、なに?」

「これは・・・」

「あ、鈴宮君!」

突然兇は血相を変えて保健室を飛び出していった。
北斗も慌てて後を追う。
猛も――「やれやれ僕の仕事なんだけどね」と言いながら白衣のポケットに手を入れ、ゆっくりとした足取りで二人の後に付いて行った。





パリーン

「キャー」

「いやー何あれー?」

兇達が駆けつけた廊下では、何事かと出てきた生徒の野次馬でいっぱいだった。
その人混みを掻き分け騒ぎの中心へと足を踏み入れる。
そこには、女生徒がひとり、人の輪の中心にぽつんと佇んでいた。
しかもその人は北斗たちの記憶にも新しいあの――高円寺 魅由樹だった。
しかし、記憶の中の『高円寺 魅由樹』と、ここにいる彼女はまるで別人かと思うほど印象が違っていた。
意志の強そうな瞳は、今は光を失い焦点が定まらず虚ろな視線を彷徨わせている。
大輪の花を思わせる美しい顔は、人形のように表情が無くなり青白い顔は生気さえ感じられない。
しかも魅由樹の側にあった窓という窓は割れ、足元には割れたガラスが散らばっていた。

「何の騒ぎだ?お前がやったのか?」

そこへ生徒が呼んできたのであろう、屈強そうな体育教師が駆けつけてきた。

「おい、何とか言ったら・・・・」

声をかけたが振り返りもしない魅由樹に、痺れを切らした教師が魅由樹の肩を掴んだ途端、何かに弾かれたように数メートル後ろへ飛んでいった。

ドサリ

体格の良い大の大人が軽々と吹き飛ばされる異様な光景に、辺りはしんと静まり返った。
体育教師は気絶してしまったのかピクリとも動かない。
そこに、キロリと表情の無い魅由樹の視線だけが向いたかと思うと――

にたり

虚ろな瞳で笑った。

「コ・・・コ・・・・コ・ろ・ス」

キロリと焦点の合わない視線を向けながら、笑った口元のまま魅由樹から出た言葉に、そこに集まっていた生徒達は一瞬で凍りついた。
魅由樹が視線を向けた先には――北斗がいた。
皆一斉に北斗の方に視線を向ける。

「え・・・あ、あの・・・」

驚いたのは北斗の方で、魅由樹と生徒達の視線に顔を強張らせた。

ざわり

北斗が後ずさった瞬間、空気が急に重くなった。

「ナ・・ナセ・・・ホ・ク・・・ト」

人形のような顔をした魅由樹が一歩、また一歩と北斗に向かって歩き始めた。
その動きはまるで操られた人形のようにガクンガクンと奇怪な歩き方をしている。
北斗はその異様な光景に足が竦みうまく動けなくなる。
否、足が動かなくなっていた。

「な・・・」

動こうにも床に足が張り付いたかのようにその場から動けなくなっていた。
手で引っ張っても押しても北斗の足はびくともしない。
慌てる北斗の前に近づいてくる魅由樹から庇うように兇が目の前に立った。

「高円寺さん」

「き・・キ、キ・・・キョウ、サマ」

「やめるんだ」

兇を見るなり恍惚とした表情をしていた魅由樹は、兇の言葉を聞くと一瞬でその表情を変えた。
虚ろだった瞳は、闇のように真っ黒になり瞳だった所にはほの暗い赤い光が爛々と光って見える。
無表情だった顔は今や般若のような恐ろしい形相に変わり、兇の後ろの北斗を睨みつけていた。

「オ、オ・・・マエ・・・ガ、ガ・・・イル・・・セ・・・イデ・・・」

コロス

地を這うような叫び声と共に魅由樹が天井高く飛んだ。
下降する勢いに身を任せ、異様に伸びた鋭い爪を北斗めがけて振り下ろす。

ザシュッ

布を、肉を、切り裂く音が辺りに響いた。
鮮血が飛び散り引き裂かれた布が舞う。
その途端、その場にいた女生徒達の悲鳴が響き渡った。

「イヤー」

「キャー」

目の前で起きた惨事に生徒達は恐怖し、逃げ出す者やその場に座り込み悲鳴を上げる者達で溢れ返り、辺りは騒然となった。
そんな中、ふらりと人影が動いた。
苦しそうに肩で息をしながら北斗を庇うように立つ兇の姿があった。
魅由樹の攻撃から見事北斗を庇った兇のその背中には、右肩から腰の辺りまでざっくりと切り裂かれた爪痕があった。
しかもその傷痕からは、おびただしい血がドクドクと流れている。
その生々しい光景に、北斗は口元を押さえて悲鳴のような声を上げた。

「鈴宮君、ダメ!お願い、もういいから、お願い!」

北斗は兇の腕を掴んで縋るように懇願する。

「那々瀬さんは下がってて。」

そんな北斗を庇うように背後に隠しながらまた一歩前に出た。

「だ、ダメだよ!狙われてるのは私なんだから、お願い私が行けば・・・」

「俺が守るって言っただろ!」

北斗の言葉に兇は声を荒げた。
すると北斗は兇の剣幕に驚き押し黙る。
それを了承と取った兇は、ポケットからあの数珠を取り出し魅由樹の前にかざした。
その途端、魅由樹はくぐもった声を上げ、苦しそうに顔を歪めると素早い身のこなしで近くにあった窓を破り外へと逃げていってしまった。
まるで風のように逃げていった魅由樹の後姿を睨むように見つめていた兇は、次の瞬間ガクッとその場に膝をつく。
緊張の糸が解けたのか、はあはあと荒い息を吐きながら痛みに顔を歪めていた。
北斗が兇の元へ駆け寄ろうとした時、それよりも早く大きな手が兇の体を支えた。
驚いて見上げると猛が兇の腕を取り肩に担いでいるところだった。

「まったく、君って子は無茶をするねぇ。」

そう言いながら猛は苦笑すると「ね?」と北斗に同意を求めてくる。
北斗がぽかんと見上げていると「手伝ってくれる?」と猛に言われ、慌てて空いている反対側の体を支えると猛と共に保健室まで兇を運んでいった。





「何とか誤魔化せたよ。」

職員室から戻ってきた猛が開口一番、にこやかに言った言葉の意味を計り兼ね北斗は首を傾げた。
北斗達がいるのは猛が現在勤務している保健室の中。
深手を負った兇をここまで運んできた猛は兇の治療を手早く済ませると、北斗に留守番を頼み職員室へと向かった。
もちろん先程の騒ぎの事後処理をしに行ったのだ。
そうとは知らない北斗は不思議そうな顔で猛を見ていた。

「ん、ああ、あんな事があったからね。僕現場に居たでしょう?さっき説明しろって他の先生達に呼び出されちゃったんだ。」

北斗は猛の話を聞いてやっと合点がいったと頷いた。

「それで、どうだったんですか?」

「うん、校長先生と話して”変質者が出た”って事にしてもらっちゃった♪」

北斗の質問に猛は何でもない事のように答える。

「え、ええ!?変質者?」

猛の言葉に北斗は素っ頓狂な声を上げた。
驚くのは無理も無い、あれはどう見たって正真正銘”高円寺 魅由樹”だったのだ。
どこをどうやったら”変質者”だなんて話になるのだ、と訝しげに自分を見つめる北斗に気づいた猛は、ぷっと噴き出しながら

「ああ、ここの校長には顔が利くからね、まあ警察も来るだろうけどそんなの圧力かければどうとでもなるし。」

と、とんでもない科白を吐いた。

「は?校長?警察?圧力?」

北斗の頭の中は軽いパニックを引き起こしていた。

――鈴宮君の家って何なんだろう・・・。

霊を除霊する力があるのにも驚きなのに、校長やら警察に顔が利くなんていったどんな家系なんだと詮索せずにはいられなかった。

――もしかして、私とんでもない所に厄介になってるのかも?

あながち外れてはいない疑問に冷や汗を流す北斗であった。
北斗が一人胸中であれこれと悩んでいると、すぐ側にあったベットから「うぅ」という呻き声が聞こえてきた。
北斗は我に返ると慌ててベットに近づき閉めてあったカーテンを開ける。
そこには上半身包帯でぐるぐる巻きにされた兇が横たわっていた。

「す、鈴宮君?」

「那々瀬さん・・・」

意識の戻った兇はぼんやりと目を開け北斗の顔を暫く見ていたが、はっと我に返りがばりと起き上がってきた。

「あいつは?高円寺さんは?」

北斗の肩を両手で掴み青褪めながら聞いてくる。
鬼気迫る問いかけに北斗は驚き目を瞠って固まった。
そんな北斗に助け舟を出してくれたのはもちろん猛で、北斗の肩を鷲掴む兇の手をやんわりと外すと思い切り

後頭部に肘を入れた。

ゴスッともの凄い音を響かせながら兇の首が頭一つ分沈み込む。
いきなりな展開に北斗は口をあんぐり開けてその光景を見ていた。

「女の子に乱暴しちゃ〜ダメでしょ〜♪」

しかも猛のその顔はどこまでも笑顔のままである。

「し・か・も、あんな公衆の面前で〜力使おうとしちゃ〜だ・め・で・しょ・お〜〜♪」

「ぐ・・・」

しかもこれみよがしに兇の頭を肘でグリグリしている。
痛そうだ。
言葉も、頭も、痛いところを突かれたのか兇は珍しくされるがままになっていた。
さんざん頭をグリグリした猛は気が済んだのか「ふん」と鼻を鳴らすと備え付けのパイプ椅子に腰を下ろした。

「まったく、こういうのはデリケートな問題なんだから、いつもこっそり人目につかないようにスマートにやれって言ってるのに・・・。」

何でわかんないかな〜、と腕を組みながら猛は嘆息する。
そんな猛に兇は舌打ちしながら「わかってるよ」とそっぽを向いた。

「す、鈴宮君大丈夫」

小さな兄弟喧嘩の終わった頃合を見計らって北斗は心配そうに声をかけてきた。
こんなやり取りも慣れたものだ。
そんな北斗に兇は表情一変、穏やかな笑顔を向けると

「那々瀬さんの方こそ怪我は無かった?」

そっと北斗の頬に手を添え優しく聞いてきた。
北斗を心配する兇に「うん大丈夫、鈴宮君が守ってくれたから」と北斗は頭を振りながら答える。
そして、安堵の息を吐いている兇の手を取ると北斗は申し訳なさそうに頭を下げた。

「ごめんね、私のせいで。」

「そんな・・・。」

「そうそう、北斗ちゃんのせいだね〜。」

「猛!」

そんな事ないと言おうとした兇の言葉を遮り、猛が珍しく非情な言葉を吐いてきた。

「すみません」

「だからね・・・北斗ちゃんにも手伝って欲しいんだ。」

猛の言葉に本当に申し訳ないといった様子で項垂れる北斗に猛は優しく声をかける。

「手伝う?」

「うん、今回の事件は残念だけど君も一枚噛んでるからね、だから責任とって僕をサポートしてくれる?」

いいでしょ?と屈託無く笑う猛に北斗は「私でできるなら」と二つ返事で頷いた。

「おい!」

それを聞いて黙っている兇では無かった。
勝手に話を進める猛に掴みかからんばかりの勢いで兇が異議を唱える。
しかし猛はすっと、いつもの表情から真面目なそれへと変えると

「これは国家公務だよ」

といつにない真面目な声で言ってきた。
その言葉に兇もまた押し黙る。
いつもと違う緊迫した空気の中、一人蚊帳の外に居る状態の北斗は意味がわからず首を傾げていた。

「え?え?国家・・・公務?」

「あ、やばっ、つい・・・」

「ついじゃない!」

しまった〜と言う猛の白々しい科白に、兇は半目で睨みつける。

「ま、そういう訳だからよろしくね♪」

猛はさも当然とばかりに北斗の肩にぽんと手を置くと、にこにこと笑いながら言った。
何か聞いてはいけないことを聞いてしまった気がする北斗は、猛の言葉に「はぁ」と頷くより他なかった。

「あ、そういえば言い忘れてたけど。」

猛が思い出したといわんばかりの勢いで兇に振り返る。

「なんだ?」

猛の言葉に兇が訝しげに首を傾げていると

「あの高円寺って娘、何かに取り憑かれてるよきっと!」
と人差し指を立て可愛らしく首を傾げながら自信満々に言ってきた。

それを聞いた兇はというと――

「そんな事ぁ、わかってる!」

兇の怒声と共に、ゴスッという鈍い音が保健室に響いたのだった。

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