――何故?どうして?
魅由樹は怒っていた。
先程から組んだ腕を何度も組み替えてはイライラと自分の部屋の中をうろうろと歩き回っていた。
秀麗な眉を寄せ薄い唇が真っ赤に充血するほど噛み締め、悔しさに美しい顔を歪ませていた。
「何故わたくしがあんな女なんかに・・・」
先程の兇の言葉が耳から離れない。
”大事な人だから”
「ありえませんわ!」
側にあった本を薙ぎ払いヒステリックに叫ぶ。
――どうしてわたくしが?
――学園一美しいと言われた私が・・・あんな女なんかに!
鬼のような形相で魅由樹は己に恥をかかせた女の事を罵倒する。
――あんな女なんか、あんな女なんか・・・・
『死んでしまえばいい?』
「だ・・・れ・・・?」
突然聞こえてきた声に魅由樹は驚き勢い良く振り返った。
そこには――
『アナタノネガイヲカナエテアゲル』
体育館での事件の後、あれ程しつこかった虐めは嘘のようになりを潜めていた。
魅由樹からの報復に多少なりとも警戒していた北斗はなんだか拍子抜けしてしまい、やる気が起きず教室の窓をぼんやりと眺めていた。
「どうしたの、ぼんやりして?」
呆れた口調で声をかけてきたのは親友の若菜だった。
「ん〜?」
窓の外を眺めたまま北斗は曖昧な返事を返す。
そんな北斗にくすりと苦笑を漏らすと若菜は呆れたように言ってきた。
「なによ〜、素っ気無いわね〜。あれから何も無いのがそんなに寂しいの?」
「冗談!せいせいしてるに決まってるじゃん!」
若菜のからかいの言葉に北斗は慌てて振り向くと頭をぶんぶんと振りながら否定した。
「ふふ、そうよね〜。高円寺さんもあれから学校休んでるみたいだし。」
良かったじゃない?そう言ってくる親友に北斗は戸惑いながらも頷いた。
「よっぽどショックだったのかな?」
「それはそうでしょ〜?他のクラスの女の子達も何人か休んでるらしいわよ。」
若菜の言葉に北斗は軽く目を瞠った。
「そうなんだ・・・相変わらず凄いよね・・・・。」
兇の人気の凄さに北斗も苦笑する。
「でも、良かったじゃない。」
「何が?」
「はっきり言われたんでしょう?」
「う〜ん、どうなんだろう・・・・」
「何よ違うの?」
北斗の歯切れの悪い物言いに、若菜は怪訝そうな顔をした。
あの後、若菜は光一から一部始終を聞いたらしくその時に「兇が一世一代の告白をした」と聞いていたらしい。
実際にはそうではなかったのだが・・・・。
しかも、その噂はあっという間に広まり学園中で周知の事実となってしまっていた。
仲の良い女友達からは「おめでとう」と嫉妬半分喜び半分の餞別の言葉をもらい。
男子からは「式には呼べよ〜」など、ほとんどからかい混じりの冷やかしをもらった。
噂の二人がようやく落ち着き『カップル誕生』となった事にほとんどの生徒は他人事として面白がっているようだった。
――まあ、それはいいんだけど・・・・。
悲しいかな、皆が浮かれるほど簡単な問題では無かったのだこれが。
肝心の兇からははっきりと言われたわけではなく、今現在も特に変化は無い。
あれはあの場を治めるための、方言だったのではないかとさえ思えているのだ。
一人で浮かれて玉砕した日には目も当てられない、と北斗は真意を確かめるのが怖くてそのままにしていた。
――鈴宮君もあれから何も言ってこないしね。
北斗は居た堪れない気持ちになり小さく溜息を吐いた。
「そう言えば」
そんな北斗に気づかない若菜は思い出したとばかりに声を上げた。
「どうしたの?」
暗い思考を振り払うように若菜のほうに顔を向ける。
「うん、今度保健室に新しい先生が来るんですって。」
「え?そうなの?」
「ええ、なんでも前いた先生が急に体調を壊したらしくって辞めちゃったのよね。それで急遽代わりの先生が来るみたいよ。」
首を傾げながら言う若菜に北斗は「ふうん」とだけ返事を返した。
「で、いつ来るの?」
「今日みたいよ。」
「そうなの?」
「ええ、それで顔合わせも兼ねて新しい先生に引き継ぎとかしなくちゃだから、放課後は保健委員会があるらしいの。他の生徒達には明日の朝の朝礼で改めて紹介するらしいわ。」
「そうなんだ。」
「ええ、だから一緒に帰れないけど・・・」
「ああ、大丈夫。もう子供じゃないんだから。」
心配そうに顔を覗いてくる若菜に北斗は困った風に肩を竦めて見せた。
「そうよね、あら丁度いいわ。」
そう言って若菜は北斗から離れると、丁度教室に入ってきた兇の元へと行ってしまった。
なんだろう、とぼんやりと眺めていると話し終わった若菜が帰ってきた。
「鈴宮君に頼んでおいたから。」
「へ?」
にこにこ笑う若菜の言葉に北斗は素っ頓狂な声を上げる。
「うふふ、たまには二人っきりで帰りなさいよね。」
世話好きな親友は、これ幸いとばかりにあろうことか兇に「北斗と一緒に帰ってあげて」と頼んできたらしい。
嬉しそうにウインクする若菜に北斗は「あははは〜」と青褪めながら頷くのであった。
「じゃあ、那々瀬さん行こうか?」
「う、うん・・・」
にこにこ笑顔で聞いてくる兇に北斗は俯きながら返事をする。
――皆の視線が痛い。
放課後、帰り支度を済ませた兇は朝若菜に言われた通り、北斗の元へとやって来た。
そのお陰でクラスの視線が一斉に二人へと集中する。
にやにやにやにや好奇の視線の中、北斗は兇を連れて逃げるように教室を後にした。
「あれから大丈夫?」
帰り道、兇が突然話を振ってきた。
下ばかり見て歩いていた北斗は何を言われたのかわからず兇の顔を見上げた。
「その・・・高円寺さん達のこと。」
「ああ、大丈夫みたい。あれから何も言ってこないし。」
北斗は心配させないように勤めて明るく答える。
「そっか、良かった。」
兇は安心したのか安堵の溜息を吐いた。
それから言葉が続かなくなる。
暫し気まずい雰囲気が二人の間に落ちた。
――な、何か話さなきゃ。
緊張する心を落ち着けようと北斗は兇に気づかれないようにスーハーと息を吐く。
「ごめんね。」
こっそり深呼吸する北斗の耳に兇の申し訳ないといった声が聞こえてきた。
「え?」
その言葉に北斗はキョトンとする。
見上げると兇と視線があった。
その兇の瞳には切ないような苦しいようなでも優しく見守るような色んな感情が込められているようで、北斗は恥ずかしさも忘れその瞳に吸い込まれる様に見つめ返した。
ふいに兇の大きな掌が北斗の手を包み込んだ。
北斗はドキリとして思わず足を止めてしまう。
同じく兇も立ち止まり、北斗の顔を真剣な顔で見つめると
「俺が守るから。」
と、優しく優しく囁いた。
じわり、と涙が溢れそうになった。
己に向けられるその瞳がどこまでも優しく愛しむ様で・・・・。
幸せだと感じてしまった。
目の前の彼に飛び込んでしまいたいと思ってしまった。
その広い胸に飛び込み思い切り甘えたい。
優しく頭を撫でてもらいたい。
そんな淡い想いが溢れてしまいそうになった。
その想いを振り払うように北斗は俯く。
急に恥ずかしくなり頬が熱を持ち始める。
「ありがとう」
兇に気づいて欲しくなくて、早口で言った。
「うん、ずっと守るから。だから・・・・」
兇はそこまで言うと急に押し黙った。
北斗は気にはなったが恥ずかしさで顔を上げられず、代わりに何かに耐えるような気配が伝わってきた。
そう感じた直後、繋いでいた手を更に強く握り締められた。
心なしか兇の手が先程よりも熱く感じられた。
暫くそうしていた二人だったが、どちらからともなく歩みを再会し、薄暗くなる夕焼けの空を手を繋いだまま帰路へと着いた。
その次の日
兇と北斗は固まっていた。
目の前で起こった出来事に、あんぐりと口を開け、ただただ驚くしか他無かった。
「え〜本日付で赴任してきました・・・」
朝の体育館で恒例の朝礼が行われていたのだが・・・・。
先程から、にこやかに自己紹介をする人物に、夢でも見ているのではないかと北斗は何度も目を擦った。
――な、なんで?
見間違いかと思い、もう一度前を見てみたが、そこに居る人物は何度見ても同じだった。
北斗は開いた口をそのままに、壇上の上にいる人物を呆けた顔で見つめていた。
「どういうつもりだ?」
備え付けのテーブルをだんっと勢い良く叩きながら兇が詰め寄った。
兇達は、一時間目の休み時間を利用して校舎の一階に設けられた保健室に来ていた。
いつになく怒った剣幕の兇に詰め寄られた人物は、慣れた様子で答え始めた。
「だから〜さっきも言ったでしょ〜赴任してきたって。」
淹れたてのコーヒーを啜りながら赴任してきたばかりの保健医は、目の前の兇の剣幕に驚く事無くのんびりと、さも当然とばかりに答えた。
先程から同じような問答が何度も繰り返されていた。
「だから、なんでお前がいるんだよ、猛!」
「ん〜、校長に頼まれたから。」
猛と呼ばれた青年は、にこやかに答えるとまたコーヒーを啜りだす。
そう、朝の朝礼で壇上に立ち『新しく赴任してきた保険医で〜す』となんとも気の抜ける自己紹介をしていたのは、兇の兄である猛だった。
度肝を抜かれたのはもちろん弟である兇で・・・・
一言も、というか何も知らされていなかった兇は、どういう事かと休み時間の予鈴が鳴り止むのも待たずに大急ぎでここまでやって来たのだった。
「〜〜〜〜」
真面目に答えようとしない猛に兇は顔を歪ませる。
――あ、本気で怒ってきた。
そんな兇の表情に猛は内心冷や汗を流し始めた。
――こんな所で兄弟喧嘩は避けたいなぁ〜。
と心の中で呟き、やれやれと肩を竦めると
「僕一応、医師免許持ってるんだけど?」
と言いながら鞄から小さなカードを取り出し兇の目の前でひらひらさせて見せた。
問題ないでしょ?と屈託無く笑う猛にそれ以上問い詰める事もできなくなった兇は、盛大な溜息を吐くとキッと猛を睨みつけた。
「変なことするなよ!」
特に俺たちが兄弟なのは内緒だ!と、人差し指を突きつけてきつく言うと兇はさっさと保健室を出て行ってしまった。
「あ〜あ、怒っちゃったぁ〜。」
猛は言葉とは裏腹に全然気にする風でもなく、暢気に飲みかけのコーヒーを啜っていた。
「北斗ちゃんも大変だね?」
と、突然話を振られた北斗は返答に困りぎこちなく笑った。
「あんなんじゃ女の子にモテないよね〜?」
とにこやかに笑う猛に北斗は曖昧に返事を返す。
ふと、北斗は一抹の不安を覚えて恐る恐る猛に聞いてみた。
「あ、あの・・・もしかしてまた?」
まさかまたあの時の悪霊がまだ残っていたのだろうか?
北斗の頭に不安が過ぎる。
「あ〜全然全然、あの子はちゃんと成仏したから安心して。ほんとにただの仕事なんだよ。」
猛は北斗の言わんとしている事を素早く理解すると大丈夫だと笑顔で答えた。
「ま、でもどこで何が居るかわからないから用心はしてね。」
意味深な言葉に北斗が首を傾げていると、「授業始まっちゃうよ?」と猛に言われ慌てて保健室を後にした。
「本当に狙われやすいからねぇ〜。」
北斗が去った保健室で一人残された猛は、ぽつりと呟いていた。
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