「鈴宮君」
重い足取りで学校の門をくぐると後ろから声を掛けられた。
聞き覚えのある声に一瞬体が強張る。
このまま聞こえないフリをしようか躊躇ったが小さく溜息を吐くと意を決して振り返った。
「どうしたの青柳さん?」
にこりと笑顔を忘れず振り向いた兇の視線の先には神妙な顔つきの若菜がいた。
「おはよう鈴宮君。北斗はまだ治らないの?」
そんな兇の笑顔など意にも介さず若菜は直球で聞きだしたい内容を質問してきた。
そんな率直な若菜の言葉に兇は内心うっと冷や汗を流す。
―――青柳さん那々瀬さんのこととなると見境なくなるからなぁ〜・・・。
兇は胸中でそんな事を呟きながら若菜に向き直った。
「う、うん・・・・まだ風邪治らないみたいだよ。」
「そう・・・・北斗に早く治るようにって伝えておいてね。」
兇の言葉を聞いた途端、見てわかるほどの落胆ぶりでそう言ってきた。
そして兇の返事も待たずに踵を返すと、とぼとぼと校舎の方へと向かって行ってしまったのだった。
――――と、とりあえず追求される事は免れた・・・・。
兇は肩を落として歩いていく若菜の後姿を見送りながら頬に流れた冷や汗を拭うと胸中で呟いた。
現在目下一番の悩みの種をなんとか誤魔化せた事にほっと胸を撫で下ろす。
今現在鈴宮家で起こっている状況をあの少女に知られたらどんな事態になるか・・・・。
知ったら最後、もの凄い剣幕で我が家へ乗り込んでくるのだろうと、若菜の鬼のような形相を想像しながら兇は知らず身震いするのだった
鈴宮家では只今緊急事態が起きていた。
その緊急事態とは――
若菜の親友であり、兇の想い人でもある少女が神隠しに遭ってしまったのだ。
当然本当の事は鈴宮家以外のものには誰にも知らせてはいない。
もちろん若菜にもだ。
学校側には『重度の風邪の症状で完治には一週間以上かかるかもしれない』と報告済みだ。
もちろんそんなデタラメな報告をしたのは猛である。
当学園の保健医を勤める猛の報告に学校側はすんなりと納得した。
というか校長に圧力をかけたと言った方が正しいかもしれない。
そんなこんなで北斗が神隠しに遭ってから早三日。
まだ何の進展もないまま現在に至るのである。
「はぁ〜。」
兇は重い溜息を吐くと己の失態を呪いながら校舎へと向かうのであった。
「ただいま」
兇は疲れた体を引き摺るようにして帰宅すると力無い声で帰宅の旨を伝えた。
「おかえりなさい兇さん。」
そんな兇を出迎えたのは清音だった。
今は夕飯の準備の途中なのだろう、お玉を右手に持ったまま出迎えた母はにこりと兇へと微笑むと「学校はどうだった?」と聞いてきた。
「ああ、うん、大丈夫だった。」
「そう、ならよかったわ。」
清音は兇の返答を聞くとにこりと頷いてきた。
説明しておくが清音の「大丈夫だった?」は兇の学校生活のことを指しているわけではない。
その証拠に――
「また出かけるんでしょう?早く北斗さん探し出して来てくださいねぇ。」
と、清音から女神の微笑と共に釘を刺されたのだった。
実は兇の母は見た目こそのんびりとした優しそうな和服美人なのであるが。
ことこうい事に関しては結構厳しいのだ。
あの交差点で北斗が神隠しに遭った日も、血相を変えて帰宅した兇に渇を入れたのは誰であろうこの人である。
珍しく狼狽え頭を抱えて落ち込む兇に
「あなたが北斗さんを連れて行ってこうなってしまったのでしょう?あなたがきちんと責任を取って見つけ出してあげなさい。あなたでなくて誰がやるのです?男の子でしょう?しっかりなさい!!」
と、いつもの彼女からは想像もつかないような激しい口調で叱咤したのであった。
「あ、はい!い、行ってきます!」
兇は清音の言葉を聞くなりピシッと背筋を伸ばすと一目散に外へと飛び出していった。
そんな息子の慌てる姿に清音はふふふと可笑しそうに笑うと「いってらっしゃい。」となんとも気の抜けるような声で見送るのだった。
シトシトシトシト
雨は一向に止む気配は無かった。
あれから何時間経ったのか?いや何日経ったのか?北斗は曖昧な時間の感覚に自分がどのくらいここにいるのかわからなくなっていた。
「いつまでここに居ればいいんだろう。」
そう呟いた途端、お腹から盛大な音が響いてきた。
その大きな音に反射的にお腹を手で隠す。
「もう〜こんな時だってのに〜。」
緊張感の無い自分のお腹に恥ずかしいやら情けないやら、北斗は顔を真っ赤にさせて愚痴った。
結構前からお腹はすでに空腹であった。
何度目になるかわからないその胃袋の訴えに北斗は何か無いかと辺りを見回す。
しかし暗いそのお堂の中にはめぼしい物は何も無かった。
「はぁ〜せめて雨が止んでくれたらなぁ〜。」
ここで目が覚めてから一向に止まない外の雨音に北斗は一人ごちる。
肩を落としてお腹の虫が治まるのをじっと待っていると、さっきより外が静かになったことに気がついた。
「え?まさか!?」
北斗は目を輝かせて外へと耳をそばだてる。
さっきまで聞こえていた雨音が聞こえなくなっていた。
「やった!これで外へ出られる!!」
北斗は途端笑顔になると急いでお堂の扉を開け放った。
「う・・・」
外へ出た途端強烈な光に目が眩んだ。
あまりの眩しさに手で顔に影を作るとゆっくりと目を開いて辺りを窺って見た。
「!!!!」
北斗は目の前の光景に驚いた。
眩しいのも忘れて目の前に現れた景色を凝視する。
そこには――
大きな池が北斗の目の前にあった。
その池は北斗が出てきたお堂の真正面に鎮座していた。
「な、なんでこんな所に池が?」
北斗は不思議に思いながら他には何か無いかと辺りをきょろきょろと見回した。
しかし、辺りにはうっそうと茂る林が続いており左右どこを見ても木ばかりだった。
お堂と池をぐるりと囲むように生えている木々たち。
その一角にふと黄色い色が見て取れた。
北斗は怪訝に思いながらもゆっくりとその色のある場所へと近づいて行く。
池を半周回ったところにそれはあった。
「あ、これみかんだ!」
北斗は目の前の木に成っているつやつやとしたみかんを見て喜びの声を上げた。
その途端『ぐ〜』とお腹から盛大な音が聞こえてきた。
「あはははは」
誰も見ている者がいないとはいえ乙女にとっては恥ずかしいらしく、北斗は赤い顔をしながら自分のお腹を押さえて笑った。
そして目の前のおいしそうなみかんを取ろうと手を伸ばしたその時――
「おねえちゃん、だあれ?」
背後から声が聞こえてきた。
「え?」
反射的に振り返る。
そこには――
木の枝にちょこんと腰掛け、にこにこと笑いながら北斗を見おろす男の子の姿があった。
≪back NOVEL TOP next≫