コツ コツ コツ コツ

薄暗い夜道、街頭の明かりが等間隔で続くこの道で誰かに付けられているような気がして振り返った。

だれもいない

また前を向き歩き出す。
聞こえるか聞こえないかの小さな音で『何か』がついて来ているような気がした。
音は本当に微かで耳をそばだててやっと聞こえるか聞こえないかという程だ。
木々の揺れる音かもと思い、近くに植えられている木を見上げたが風に揺られているような気配はなかった。
気のせいかと思い直しまた歩き出した。
しかしすぐその歩みは止まった。

――いる・・・・。

突然背後に感じた気配に心拍数が上がった。

――振り返ってはダメ!

自身の息遣いが荒くなる中、後ろだけが気になって仕方がなかった。

――怖くて振り返れない。

そう思ったとき――



『こんばんは』



背後から声が聞こえてきた。
ドキリ、と心臓が悲鳴を上げた。
恐怖で足が竦む。

いる・・・・すぐ後ろに!

先日の光景が蘇る。

『こんばんは』

聞き覚えのあるその声に、この前会ったあの黒いコートの男だと確信した。
振り返ったら何をされるかわからない。

――逃げよう!

そう思ったとき――



『やっとみつけた』



この前とは違う言葉がかけられた。
その言葉に体が強張る。
走り出そうとしていた足が鉛のように重たい。
逃げなきゃ、とは思うのだが金縛りに遭ったような感覚になりその場から動けなくなってしまった。
恐怖で呼吸が荒くなっていく。

『怖がってるねぇ』

背後の人物がにたりと笑ったような気がした。

「ひっ」

次の瞬間北斗の口から小さな悲鳴が上がった。
見ると北斗の首筋を後ろから黒い手が触ってきていた。
嫌な感覚に身の毛がよだつ。
悲鳴を上げる寸前、別のところから声が聞こえてきた。

「そこまでだ!」

叫び声と共に三つの人影が現れた。

『うぐっ』

その途端、男から苦しそうなうめき声が聞こえてきた。
北斗が振り返って見ると、そこには蹲る黒いコートの男とそれを取り囲む兇達がいた。

「やあっと捕まえた、この前の借りは返させてもらうよ。」

猛がずいっと前に出て蹲る黒いコートの男に向かって言い放つ。
北斗はそこで男の正体に気づいた。

「そのひと、まさか猛さんを襲ったっていう」

「そういうこと!北斗ちゃん危ないから下がっててね。」

猛はそう言うと北斗にウインクしてみせた。

「さて、ちゃっちゃと除霊しちゃおうか〜♪」

猛がそう言いながら悪霊に視線を戻した時――

『おのれっ!!』

悪霊が突然叫びだし大きく膨んだかと思うとその体から無数の触手のような手を伸ばしてきた。

「那々瀬さん!」

自分を呼ぶ声と共に腕を引っぱられた。
北斗がいた場所で触手が空を切る。
北斗は兇に引かれるがまま無我夢中で走った。
暫く走ると広い公園へと出た。

「那々瀬さん、俺から離れないで。」

兇が短くそう言い放つと黒い塊がざわざわと追いかけてきた。
もはやヒトの形を成さない黒いモノに北斗が怯える。
兇は北斗を背後へ庇いつつそれと対峙した。

「何故この子を襲うんだ?」

兇の問いかけに悪霊がにたりと笑いながら答えてきた。

『そいつは俺が生前唯一殺し損ねた子供だからさ。』

悪霊の言葉に北斗が顔を上げた。

「わたしが?」

悪霊は北斗を見下ろしながらなおも続けた。

『くくくそうだ、あの時はお前の母親の邪魔が入ったからな、だがお前の母親はもういない、あの時お前の代わりに殺しちまったからなぁ。』

悪霊はそう言ってにたりと笑った。

「え・・・・」

悪霊の言葉に北斗が固まる。

――お母さんが私の代わりに・・・・シンダ?

信じられないという顔で悪霊を見上げた。

「え?だって、だって・・・・私のお母さんは私が小さいときに病気で亡くなったって・・・・」

北斗が呟いた途端、脳裏に過去の記憶がフラッシュバックしてきた。

「うぅ」

「那々瀬さん!」

蹲まってしまった北斗を兇が心配そうな顔で抱きかかえた。
頭痛に苦しむ中、北斗の脳裏に映写機のように断片的な映像が浮かんでは消えていく。

黒いコートの男に連れ去られた自分。

必死に私の名を叫ぶ母。

知らない川原で迫ってきた黒い男。

近づいてきた男の腕にしがみつき助けを呼ぶよう言ってきた母。

必死に走って助けを呼んできた私が見たものは・・・・



――冷たくなって動かなくなった母だった――



「あ・・・あ・・・・」



――思い出した!



北斗は涙を流しながら震えた。

「全部・・・・全部、私のせい・・・・」

北斗は泣き崩れる。
そんな北斗を見ていた悪霊がまたにたりと笑って言ってきた。

『ようやく思い出したみたいだなぁ。』

心底嬉しそうに言う悪霊の言葉に泣き崩れた北斗の横から、低い声が聞こえてきた。

「ふざけるな!!」

見ると兇が怒りでわなわなと肩を震わせギリッと悪霊を睨みつけていた。
歳若い見た目もヒヨッ子の兇に悪霊は鼻で笑う。

『お前のようなヤツが俺に敵うと思っているのか?』

悪霊は兇を見透かしたように言ってきた。



「おやおや、私たちのことは忘れられていますねぇ。」

兇達を見下ろす悪霊から少し離れた場所で暢気な声が聞こえてきた。
驚いて振り返ると、保と猛がこちらを見ていた。
二人を見た途端忌々しそうに舌打ちをする悪霊。

『ふん、あれだけ俺に痛い目に遭っておきながらまたのこのこ姿を現すとはなぁ。今度は逃がさないぜぇ。』

猛を見ながらにたりと笑う。

「ふ、生憎同じ鉄は二度も踏まない主義なんでね。」

悪霊の言葉に猛も得意の悪魔の微笑でこたえた。

「おやおや威勢のいい方ですねぇ。」

その横から暢気な口調で保が参戦してきた。

「ふん、二対一じゃあ分が悪いなぁ。」

悪霊はちらりと保を見るとチッと舌打ちをしながらそう言ってきた。

「まあいい、俺は狙った獲物は逃がさない主義なんでな。次は必ず殺す。」

そして北斗の方を見ながらそう言うとすっと音もなく姿を消したのだった。



辺りに静寂が戻った。

「逃げちゃいましたねぇ。」

「何で逃がした?」

暢気に言う保に猛が怒気を含んだ声で睨んできた。
怖いですよ猛君、とうそぶく保の耳に兇の心配そうな声が聞こえてきた。

「那々瀬さん大丈夫?」

振り返ると座り込んだままの北斗を気遣う兇の姿があった。

「どうした?」

その異変に素早く気づいた猛が北斗の元へと急ぐ。

「北斗ちゃん?」

座り込み微動だにしない北斗を不審に思い肩に手を置くが反応が無かった。
代わりに北斗からはブツブツと何事かを呟く声が聞こえてきた。

「兇、これは・・・・」

「那々瀬さん」

北斗の姿に深刻そうな顔をしたまま顔を見合わせる二人。



「ワタシノセイデ、ワタシノセイデ・・・・」



座り込み虚ろな目をした北斗の口からは同じ言葉が何度も繰り返されていたのだった。





「一時的な精神の混乱でしょうねぇ。」

夜半過ぎ――
鈴宮家の居間では、あれから家に戻った兇達が北斗の容態を診た保から説明を受けていた。
しんと静まり返る一同。

「俺達がついていながら情けないな。」

「ですねぇ。」

ぽつりと零した猛に保が情けない顔で頷く。
そんな二人の言葉を聞きながら兇はギリッと唇をきつく噛み締めていた。

本当に情けない。

自分で何とかすると言っておきながらこのていたらく。
情けなくて涙が出てくる。
あの悪霊に北斗を会わすべきではなかった。
なかなか所在を掴む事のできない悪霊に痺れを切らせて、北斗を見張れば悪霊を捕まえるられる、と言い出した保の言葉に乗ってしまった自分が許せなかった。
彼女を守ると誓ったのに結局彼女を危険な目に合わせそして傷つけてしまった。

「兇君」

己の馬鹿さ加減を呪っていると猛が声をかけてきた。
冷めた目で見上げると兄の顔で見下ろす猛と目が合った。
何故そんな顔で見下ろしてくるのか意図の読めない兄に兇は更に視線を鋭くして「なに?」と短く聞き返す。

「兇・・・・彼女がああなったのはお前のせいじゃないよ・・・・いずれは彼女も思い出さなきゃいけないことだったんだ。」

その言葉を聞いて兇の瞳がみるみる見開かれていった。

「もしかして・・・・最初から知ってたのか?」

信じられないといったような顔で見上げてくる弟に猛は気まずそうに頷いた。

「彼女のことは最初から知っていたよ、母親のことも彼女がそのショックで昔の記憶の一部が無いってことも。」

猛は静かな声で言いながら話しだした。

昔、子供だけを攫う殺人鬼がいた。
その男は真っ黒いコートに同じ色のつばの広い帽子を身につけ黄昏時に幼い獲物を求めて各地を彷徨っていた。
丁度とある町に辿り着いた男はそこで北斗を見つけ攫ったそうだ。
その時偶然彼女を連れ去るところを母親に目撃されてしまった。
必死になって追いかけてくる母親を振り切り人気の無い川原で北斗を殺そうとしたところ、追いついてきた母親に阻止されてしまった。
娘を逃がし犯人の男と乱闘になっている際、犯人が隠し持っていたナイフで刺され殺されてしまったそうだ。
そしてその時母親の機転で助けを呼びに行くよう言われていた北斗は数人の大人を連れて川原に戻ってきてしまった。
その時変わり果てた母親の姿を見てしまったショックで北斗は当時の記憶がなくなってしまったそうなのだ

これが事件の真相だと猛が言った。
猛の所属するあの機関で調べたのだろう、徹底的に調べ尽くすあの機関のことだ猛は早い段階から北斗の事を知っていたに違いない。
そう、彼女が鈴宮家に来た頃から。

「知ってて黙っていたのか?」

「ああ」

吐き捨てるように言う兇に猛は静かな声で答える。

「なんでだ?」

兇は猛をキッと睨みつけるように見上げると責めるように問うた。

「お前に言えばきっと探しただろう?」

アレは一人で手に負える相手じゃない、猛はそう言って兇の顔を真剣な顔で見返してきた。
いつにない兄の真剣な表情に今回の敵が生半可な相手ではないことを悟る。

「それにアレは元々親父が探していた相手だったしな」

「そ、猛君たらその事知って勝手に暴走しちゃったから誤魔化すの大変だったんだよ〜。」

「はあ!?」

敵の強さを知り、これからどうすれば?と考えていた兇に猛と保が爆弾発言を投下してきた。
いきなりの事で思わず素っ頓狂な声が出てしまった。
目をぱちくりさせ、涼しい顔で世間話でもしているような二人を交互に見る。

「ど、どういう事だ?」

声が震えてしまったのは自分のせいではないだろう。
どこまでも自由を地で行くこの二人の行動に兇の思考はショート寸前だ。

「勝手に暴走って・・・・親父のって・・・・誤魔化すって、どういうことだ!?」

思わず声を張り上げていた。
思いのほか反応を見せる弟に二人はまずいと思ったのか、冷や汗を流しながら弁解を始めた。

「い、いや〜北斗ちゃんを狙っている悪霊が親父の獲物だって知ってさ、その・・・ついでだから倒しておこうと思って。」

「あははは〜猛君だから大丈夫だと思ったんですけどねぇ〜。」

さらにとんでもないカミングアウトを続ける二人の言葉に兇の肩がわなわなと震えだす。

「じゃああれか?猛が怪我したのも父さんが帰ってきたのも全部全部・・・・。」

「いやぁ〜悪霊に北斗ちゃんの事感づかれたのは誤算だったよ。」

あの悪霊鼻が良いみたいでさ〜、と今回の大元凶の主が頭を掻きながら申し訳なさそうに言ってきた。



―― ぷっつん ――



その瞬間キレる音が二人の耳に聞こえてきた。
ずごごごごごぉ〜〜と兇の背後から黒い何かが噴出すのが見えたとか見えなかったとか。

「こんの、くそ兄貴!!!」



ぐごしっ!



草木も眠る丑三つ時
鈴宮家の居間から物凄く鈍い音が響いたのだった。



≪back  NOVEL TOP  next≫