『こんにちは』

それは唐突だった

ポーーン ポーーン
私はいつものように家の道路に面した壁でボール遊びをしていた。
お気に入りのピンクのボール。
ふわふわで軽くてよく弾む。
お母さんが7歳の誕生日のときに買ってくれたものだ。
私はそのボールで遊ぶのが大好きだった。
今日もいつものようにボール遊びをしていると、突然知らないおじちゃんが声を掛けてきた。
振り向くと黒いコートに黒い大きなつばのある帽子を被った大きなおじちゃんが立っていた。
ぬっと私を覆い隠すように立つおじちゃんはにこにこしていたのだけど、何故か私はその笑顔が恐いと感じて辺りを見回してしまった。
私とおじちゃん以外には誰もいなかった。
なんだか急に不安になった。

『一人で遊んでいるの?』

おじちゃんは小さい私に向かって腰をかがめるとそう聞いてきた。
私は顔を近づけてくるおじちゃんから仰け反るように離れながら『ううん』と首を振って答えた。

『お母さんがもうすぐ帰ってくるから・・・・』

私は必死になってお母さんがもうすぐ来るという事を伝えようとした。
おじちゃんは何故か嬉しそうに『そう』とだけ言って頷いた。
その笑顔がなんだか恐くておじちゃんが見えないように背を向けてしまった。
背後のおじちゃんが動く様子が無くてちょっと恐かったけど私は構わずボール遊びを続けようとした。

その時――



がばっ!!



一瞬で目の前が真っ暗になり続いて浮遊感が私を襲った。
私の手から滑り落ちたボールがポーンポーンと転がっていく。
続いて聞き覚えのある声が聞こえてきた。

『北斗!!』

お母さんの声だった。
何故かお母さんは今まで聞いたことも無いような悲痛な声で叫んでいた。

『おかあさ・・・』

私は恐くて恐くてお母さんを呼ぼうとしたけれど、その瞬間体に走った衝撃に声が出なくなってしまった。

抱えられて走っている

と気づいた時にはお母さんの声が遠くに聞こえていた。
私は恐くなってわんわん泣いた。

『 おかあさん   おかあさん   おかあさん   おかかさん   おかあさん  おかあさん』

わんわん泣きながらお母さんを呼び続けた。
しかし次第におかあさんの声がどんどん遠ざかっていく。
どのくらい経っただろう?
ふと、おじちゃんが急に立ち止まった。
続いて私の体に衝撃が走った。
どさっ、という音と共に地面に放り出されたのだと何となくわかった。
真っ暗だった視界は急に明るくなり。
目の前に知らない原っぱと恐いおじちゃんの顔だけが見えた。

『 くくくくく、お前はもうお母さんに会えないよ。』

おじちゃんは何故か嬉しそうに目を細めるとそう言ってきた。
私は涙を流しながらおじちゃんを見上げた。
おじちゃんは楽しそうにニコニコしながらゆっくりと私に近づいてくる。
私は恐くて恐くてガタガタ震えながら必死にお母さんに助けを求めた。

『お・・・か・・・・』

でも声が出なかった。

声を出そうとしたら喉の奥がとっても苦しかった。
口もうまく開けなかった。
少しだけ開いた口からは歯がカチカチとぶつかる音が聞こえてきた。
そして目の前でゆっくりと近づいてくるおじちゃんから逃げようとしたけど体がうまく動かなかった。
手や足に力が入らなかった。
体中がガタガタと震えていた。
もう恐くて恐くて心の中で必死にお母さんを呼んでいた。

『おかあさん、おかあさん・・・こわいよ・・・・たすけて!!』

いよいよおじちゃんが至近距離まで近づいてきたので私はぎゅっと目をつぶった。

――その時



『北斗!!!』



心の中で必死に呼んでいたおかあさんの声に私は思い切り顔を上げた。
目の前には見慣れたおかあさんの背中があった。
お母さんの長い黒髪が目の前を舞っている。
何故かお母さんはおじちゃんと私の間に倒れこむようにいた。
そしておじちゃんの右腕に必死になって抱きついていたのだ。

『逃げるのよ北斗はやく!!』

お母さんは私を振り返りながらそう叫んできた。
突然のことに呆然とする私。

『くそっ!離せ!!』

おじちゃんの罵声にはっと我に返る私。

『逃げて北斗!!・・・・誰か大人の人を呼んで来るのよ!』

呆然と二人を見ていた私は、お母さんのその言葉にはっと我に返って立ち上がった。



――おかあさんをたすけなきゃ!



私はお母さんに言われた通り駆け出した。
走って走って『だれかたすけて!!』と必死に叫んで走り続けた。
そして私のそんな様子に驚いた大人の人達が『どうしたんだい?』とやっと声を掛けて来てくれたのでさっき遭った事を話して一緒について来てもらった。
3〜4人の大人達がついて来てくれたと思う。

必死に走って辿り着いた時その場にはお母さんだけがいた。

あのおじちゃんは何処にもいなかった。

薄暗い土手の下

そこには倒れてぴくりとも動かないお母さんだけが取り残されていたのだった。


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