「ただいま〜。」

北斗はふらふらとした足取りで玄関に上がると、そのまま行儀悪くその場に座り込んでしまった。

「疲れた〜〜〜〜〜。」

へとへとになった北斗はふにゃりと体をかがませると力なく呟く。
そこへぱたぱたと軽い足音が聞こえてきた。

「あら北斗さんお帰りなさい。あらあらどうしたの?だいぶ疲れているみたいだけど。」

そう言って出迎えてくれたのは清音だった。
北斗のへたり具合に驚き心配そうに覗き込んでくる。

「清音さんすみません〜もう疲れちゃって・・・・。」

「もう少し休んだら部屋へ行きます〜。」と力の篭らない声で言う北斗に清音は大変とばかりに声をあげた。

「あらあら大変!兇さん、兇さん、北斗さんが!」

「だ、大丈夫です〜。」

慌てて兇を呼びはじめた清音に北斗が驚いて止めに入る。
しかし北斗の努力も虚しく呼び声を聞きつけた兇が駆けつけてきてしまった。

「母さん、どうしたの?那々瀬さんがなにか?・・・・!!」

ばたばたと走ってきた兇は玄関先で座り込む北斗を見て何事かと目を瞠った。

「大丈夫?」

そしてへたり込む北斗を心配そうに覗き込みながら兇が聞いてくる。

「だ、大丈夫、大丈夫・・・・ちょっと休んだら動けるから。」

北斗はやや引き攣った笑顔でそう答えると足に力を込めて立ち上がる。
途端ふらりと眩暈が起こった。
あ、と思った時には兇に体を支えられていた。

「あ、ありがとう。」

北斗は体を支えてもらいながら虚ろな瞳で礼を言ってきた。
その顔は憔悴している。
連日の劇の特訓と頭痛とで北斗の体は疲弊しきっていたのだ。

「無理しないで。」

兇はそう言うと北斗の体を抱き上げた。
抱き上げられた北斗は抵抗も無く兇の腕の中でぐったりとしていた。
小さな北斗の体は長身の兇には軽いくらいだ。
思ったよりも軽く華奢な北斗に思わず兇が驚く。

――こんなに小さかったっけ?

兇は内心で呟くと、壊れ物を扱うかのように大事に北斗を運ぶのだった。
部屋へ着きそっと北斗を降ろしてやる。
北斗は力の入らない様子で兇の腕に掴まりながらやっとといった感じで座った。

「ありがとう、ごめんね。」

北斗の言葉に兇は首を振る。

「気にしなくていいんだよ、それより那々瀬さんは大丈夫?だいぶ疲れているみたいだけど。」

そういって兇は心配そうに北斗の顔を見下ろしてきた。

「うん・・・・劇の台詞とか覚えられなくて、私ってだめだね〜鈴宮君にも迷惑かけちゃって・・・・。」

いつもよりも落ち込んだ表情で言う北斗。
明るい笑顔の翳った北斗に兇は心配し、そしてこう言ってきた。

「劇の練習大変そうだね・・・・もし良かったら・・・・」

兇は何故かそこで言葉を切った。
そんな兇を訝しげに北斗が見上げる。
兇は北斗の視線を受けながら少し恥ずかしそうにこう続けた。

「その、もし良かったら練習付き合うよ・・・・」

ほんのりと頬を染めながらそう提案して来た兇に北斗は目を瞠る。

「え、で、でも・・・・。」

狼狽える北斗に兇は更に続けた。

「その・・・俺も練習できるし。どうかな?」

不安そうに北斗の返答を待つ兇に北斗は頬を染めながら俯いた。

――兇君と一緒に練習できる!

気づいたら頷いていた。

「い、いいの?」

「もちろん!」

恐る恐る聞いてくる北斗に兇は天使の笑顔で返事をするのだった。







「じゃあ、夕飯の後に部屋に行くよ。」

夕飯前に兇からそう言われ待つこと半時。
北斗は何故かそわそわと落ち着かない様子で部屋にいた。
もともと客間だったそこは清音が北斗の部屋として与えてくれた場所だ。
純和風の造りの部屋に北斗の為と用意された勉強机がアンバランスさを醸し出していた。
北斗はその椅子に行儀良く腰掛け兇が来るのを待っていた。
カチコチと時計の針の音が妙に耳に煩く響いてくる。
それと同じくらいの音で聞こえてくる己の胸の鼓動。
北斗はドキドキしていた。
北斗の部屋へ兇が訪れる事は珍しくはない。
だが部屋に来るといっても廊下から声をかけられたり、あるいは障子を開けて中を窺ってくるくらいしか今まで無かった。
まあ、部屋の中に入る事はあったのだが、それは北斗が寝込んでいたり、猛の夜這いが遭った時くらいなため北斗がこうやって起きている時に兇が部屋に入ってくるのはこれが初めてのことだった。
劇の練習とはいえ兇が部屋に来るという事実に北斗は何故か酷く緊張していた。

「那々瀬さん。」

すると突然声が掛けられ悶々としていた北斗は飛び上がりながら返事をした。

「は、はい!」

「入ってもいいかな?」

「ど、どうぞ!!」

思わず立ち上がりあたふたしながら返事を返すと程なくして障子を開けて兇が部屋の中へ入ってきた。
思わずドキリとする北斗。
薄暗くなってきた部屋の中で月明かりを背に佇む兇の姿に思わず見蕩れてしまった。
薄い色素の髪は月の光を受けて薄っすらと銀髪に輝き
整った秀麗な顔やすらりとした肢体が柔らかな光の中で浮かび上がる様は幻想的だった。

「遅くなってごめんね。」

申し訳なさそうに言ってくる兇にぼんやりと見惚れていた北斗ははっと我に返った。

「あ、ううん大丈夫だよ。」

北斗は内心焦りながら努めて平静を装いながら答える。

「良かった。じゃあ、はじめようか。」

北斗の返答にほっとした様子の兇は天使の笑顔を向けながら劇の練習を始めた。



忘れてた・・・・。



ここへきて北斗は激しく後悔していた。
兇との劇の練習は最初スムーズに進んでいた。
台本に沿って練習を進めていき、お互い相手の台詞の場面では他の役の台詞を担当してあげるなどしていたお陰で劇のストーリーや台詞をすんなり覚える事ができた。
しかし練習も終盤に差し掛かると北斗は恥ずかしさのせいか、なかなか上手く演技が出来なくなってしまったのだ。

忘れてた・・・・この劇って『眠り姫』だったってこと・・・・。

学校での練習では序盤の方で間違えてばかりだったため、最後までできた試しがなかったのだ。
物語の終盤では眠り続ける姫に王子が赤面必死な台詞の数々を浴びせ、そして・・・・。
北斗は台本で赤くなる頬を隠しながら兇の顔をちらりと盗み見る。
覗き見た兇の顔は真剣そのものだった。
真面目に練習を続けようとする兇の姿に、一人で舞い上がっていた自分が余計恥ずかしく思えてしまい北斗は内心で落ち込んだ。



私ったらなに一人で舞い上がってんのよ〜〜!!



「どうしたの?」

急に黙り込んでしまった北斗に兇が心配そうに声を掛けてきた。

「あ、ご、ごめんなさい。だ、大丈夫だから!」

心配そうに覗き込んでくる兇の視線に更に頬を染めながら北斗はますます台本で顔を隠してしまう。
そんな北斗を心配そうに見ていた兇は何を勘違いしたのかこう言ってきたのだった。

「具合悪い?ここの場面は寝ながらの演技だから那々瀬さんは横になってやろうか。」

「え?」

「さ、横になって。」

驚く北斗に兇はにこにこと天使の笑顔を向けながら横になるように促してきた。

「で、でも・・・・。」

「あ、そうかこのままじゃ痛いよね。」

わざとなのか天然なのか、答えに困っていた北斗の目の前で兇は閃いたとばかりにポンと手を打つと、流れるような動作で押入れから布団を取り出してきて、北斗の前にそれを敷きはじめた。

「さ、どうぞ。」

にこにこにこにこ。

屈託の無いその笑顔に北斗は断る事が出来ず素直に従ってしまった。
布団の上に横になった北斗に兇は嬉しそうに笑顔を向けると「続きをはじめよう。」と台本を広げた。
横になる北斗の耳に低く優しい兇の声が響いてくる。
紡ぐ台詞は恥ずかしいものばかりであったが、その心地良い声音に段々と意識が遠退いていくのだった。



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