「はあ、びっくりした。」
北斗はそう言いながら、廊下の曲がり角の柱に手を着き荒くなった息を整える。
猛の視線に思わず逃げ出してしまった。
だって、耐えられなかったんだもん。
北斗は自分に言い訳するように胸中で呟く。
あの視線に見つめられていたらどうにかなってしまいそうだった。
射貫かれる様なあの目。
いつもへらへらしていて、飄々と掴み所の無い猛が、今夜は無性に怖く感じた。
猛の中に”男”を感じてしまったからか?
よくわからない・・・・。
困惑する思考の中、ふと今自分が居る場所に気づいた。
「あ・・・」
思わず声が漏れた。
北斗が走って逃げてきた場所は――
兇の部屋のすぐ近くの廊下。
この角を曲がれば兇の部屋がある。
その事実にまたしても頬が赤く染まった。
かああ、と熱を生み出し始めた頬が熱い。
な、何無意識のうちにこんな所まで来てるのよ!
猛から逃げた時、北斗の脳裏には兇の顔が浮かんだ。
優しい兇の笑顔。
全ての恐怖を振り払ってくれる、あの笑顔が無性に見たくなってしまった。
なにやってんだろ、兇君私のせいで怪我までして今は寝込んでるのに。
昼間の出来事を思い出し、唇をきつく噛み締める。
でも、ちょっとだけ・・・少しだけ顔を見たい。
ふつりと浮かんだ小さな欲求。
彼の顔を見ればおそらくこの胸の中の怖さも消えるだろう。
明日から猛と二人、魅由樹を助けなければならないのだから。
猛に芽生えた不明の恐怖を取り除くべく、北斗は歩みを進めた。
そろり、と音を立てないようにそっと障子を開ける。
薄明かりの月光の下、床に伏せる兇の姿がその部屋の中にあった。
静かに眠る兇の顔は、月明かりで照らされているせいか赤みが失せ青白くさえ見える。
生気の無いその横顔はまるで死んでいるかの様に見えてしまい、北斗は思わず息を飲んだ。
「兇君?」
心細くなり、いけないと思いつつもつい声をかけてしまった。
しかし返事は無く、北斗の胸の内に更に不安が生まれただけだった。
「ごめんね。」
昏々と眠り続ける兇に北斗は小さな声で呟くと、そっとその部屋を後にした。
朝――
視界を射す朝日を掌で遮りながら北斗は空を見上げた。
「北斗ちゃん、行こうか?」
門の前でとめた車の運転席から猛が声をかけてくる。
今日は猛の申し出で一緒に学校まで行く事になった。
猛が言うには「その方が安全だから」だそうだ。
「兇君はまだ寝込んでるし、一緒に僕も歩いていっても良いんだけど、保険医と一緒に登校したら色々まずいでしょ?」
さらりとそんな事を笑顔で言ってのけたのは猛本人で・・・・。
彼もまた色々気を遣ってくれているようだった。
「裏門からバレないように入るから安心して。」
という猛の言葉に断る理由も見つからず、北斗は「お願いします」と笑顔を向けながら助手席へと乗り込んだ。
放課後――
いつ魅由樹が襲って来るのかと、一日はらはらしていた北斗は結局何も起きなかった事に拍子抜けしていた。
学校側も、表向きは変質者という扱いをしている為、授業中でも先生達が校舎内を見回りしており警備は厳重だった。
その為か、悪霊の方も警戒しているようで魅由樹は学校を休んでいた。
「さすがに昨日の今日では無理も無い・・・か」
自分専用の机に肘を付き残念そうに溜息を吐くのは、この保健室の住人――猛だった。
「今日はもう来ないですかね?」
長い足を組み、だらりとした姿勢で呆けている猛に隣に座っていた北斗は困ったように苦笑しながら声を掛けた。
「ん〜〜〜〜〜そうだねぇ。」
なんともやる気の無い声である。
「もう少し、待ってみますか?」
今日は部活もあったのだが、なんとか理由をつけて休んでいた。
一日姿を見ていない魅由樹ならその事を知らないのかもしれない。
もしかしたら人の少なくなった所を襲ってくるかもしれない。
そう北斗は考え猛に相談してみた。
「・・・・・・」
猛はそう提案してくる北斗を頬杖をついたまま暫くの間見ていたのだが。
ふぅ、と息を一つ吐くと
「うん、そうしよっか♪」
と、なんとも嬉しそうに頷いてきた。
「そんなに僕と一緒に居たいんだね、うんうん北斗ちゃんの気持ちはよ〜く解ったよ♪」
と勝手に解釈をした猛は、コーヒーでも淹れるね♪と鼻歌交じりに席を立ち、備え付けのコーヒーメーカーの電源を入れた。
「いや、あの・・・・」
一人勝手に話を進める猛に、北斗は冷や汗を流して何かを言おうとしたのだが・・・・
「北斗ちゃんはお砂糖いくつ入れる〜?」
と暢気な声で聞いてきた猛にそれ以上何も言えなくなり、北斗はがっくりと肩を落とすと
「2つで」
と答えた。
暢気な空気が漂う保健室の外――
楽しげな談笑と、明るい光が漏れるその窓に
べたり、と湿った手を窓に張り付け
ぎょろりとした目玉で中の様子を覗く青白い顔があった
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