「兇!!」

それは一瞬だった。

刹那に見せた敵の動揺。

弟が叫んだ言葉に目の前の悪霊は動きを止めた。

そしてわかるほどに変化した顔色。

なぜ?どうして?

と心の声が聞こえて来そうなくらいだった。

その一瞬の隙をついて弟が駆け出した。

弟の突然の行動に猛は慌てた。

危険だと、自殺行為だと、脳裏で警笛が鳴る。

やめろと叫んだ時には遅かった。

制止の声を振り切り、悪霊目がけて駆けて行く弟。

相変わらず詰めが甘いと舌打ちする。

猛は素早く唱えると力を発動させた。

悪霊の元へ兇が辿り着くその直前に、その間で光が弾けた。

「うわっ」

「キャアァ」

同時に聞こえてきた二つの声。

爆風で数メートルも後ろに押し返されながら、兇は顔を腕で防御してなんとか踏み止まる。

そして、風と土煙がおさまったそこには――



傷ついた悪霊がいた。



ぶすぶすと体のあちこちが焼け焦げ、黒く細い煙が何本もその体から立ち昇っている。

陽炎の如く体を包んでいた憎悪の念は今や消え去り、憐れな弱り切った霊がそこに浮かんでいた。

「猛!」

兇はその姿に目を瞠り、背後の兄へと振り返った。

「詰めが甘いよ兇君。」

相変わらずだね〜、と弟の非難の視線を受け止めながら猛は肩を竦める。

そんな猛に兇は苦虫を噛み潰したような顔をした。

「わかっているだろうけど、あのまま行ったら君、殺されてたよ」

無理心中は良くないなぁ、と茶化すように言う猛に兇の非難するような視線が向けられた。

「だからって!」

「油断は禁物、情けは無用だよ、兇」

顔を上げて己を睨んでくる弟に、兄である猛はそう言って視線を鋭くした。

「あの子は悪霊だ、まだ完全に闇に染まってはいないけど、でもこちらの話は通じない。何度も説得したんだけどねぇ。」

猛はそう言ってまた肩を竦めてみせた。

その言葉に兇は顔を顰める。

猛がこの学校へ派遣されてきたその理由を理解し、兇は益々焦った。



このままでは彼女は消される。



兇は空中に浮かぶ悪霊へと視線を移した。

彼女は余程ダメージが大きかったのか、前屈みにだらりと両腕を垂らしたまま、ぴくりともしなかった。

このまま猛の攻撃を受ければ彼女は消滅するだろう。



――どうすれば……



兇は焦り眉間の皺をさらに深めた。

その時――



ユルサナイ!!



突如、頭に響いてきた声。

爆発する怒り。

びりびりと突き刺さる様な怒りの波長に兇達は振り返った。

先程までぐったりとしていた悪霊が、憎悪の炎を体中から噴き出してこちらを睨んでいた。

真っ黒に染まったそれは、轟々と音を立てて嵐のように彼女の体を包む。

そして――



「私ノ邪魔ヲスルナァァァァァァァ!!!」



悪霊の叫びと共に黒く染まったその炎は、無数の手の形に変化したかと思うと、いきなり襲い掛かってきた。



「きゃあぁぁぁぁ!!」



その次の瞬間、離れた場所から聞こえてきた悲鳴に兇の体が凍りついた。

慌てて振り返ると、黒い手に北斗が捕まっていた。

「コノ娘ガ大事ナンデショウ?」



にたり



驚愕する兇の背後から声が聞こえてきた。

くすり、と悪霊が笑む気配が伝わってくる。

「彼女を放せ!」

怒りも露わに兇が叫ぶと、またくすりと悪霊が笑った。



「ソンナニ、コノ娘ガ大事?」

見下ろす悪霊の顔は無表情だ。



「私デハ、ダメ?」

くしゃりと顔が歪む。



「ナンデ、コノ娘ナノ?」

今にも泣きそうな顔。



「ナンデ、ナンデ?なんで……」



私じゃ駄目なの?



泣いているかのように悪霊が叫ぶ。

つぅ、と赤く染まった悪霊の目から血の涙が流れ落ちてきた。



なんで?何故?信じてたのに……



なんでどうして?愛してなかったの?



なんで何故……あの人は



私を捨てたの?



嵐のように叫ぶ女。

悪霊から噴き出た炎は北斗を捕まえたまま膨れ上がる。



―――――さん!



哀しそうな声が聞こえた瞬間――

北斗の体はその黒い炎に飲み込まれた。

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