『とりあえず那々瀬さんはこのまま心配しないで、お父さんが来るのを楽しみにしててくれれば大丈夫だから。』

兇の言葉を思い出しながら北斗は溜息を吐いていた。
今は夜半時、既にお風呂を上がった北斗はぼんやりと月を眺めていた。
この鈴宮邸の縁側でのんびりと眺める月が最近の北斗のお気に入りだった。

「楽しみにしててって言われてもなぁ〜。」

問題は山積みなのにどうして気楽でいられるのだろうと、若菜と兇の言葉を思い出してまた溜息を吐いた。

「あ〜やめやめ!今考えても仕方ない!とりあえずお父さんが来てから考えよう!」

後ろ向きな思考を振り払い大きく伸びをすると、行儀悪く後ろへ大の字になって寝そべった。
暫くの間天井をぼんやりと眺めていた北斗の耳に何か聞こえてきた。

「?」

聞き間違いかと思い今度は慎重に聞き耳を立てる。

「やっぱり何か話し声が聞こえる。」

北斗は声のする方に足音を忍ばせて近づいていった。

「・・・ま・・・・にい・・・さん」

近づいていくにつれ段々と声がはっきり聞こえてきた。
辿り着いた先は台所だった。

「!!」

そっと中を覗いてみた北斗は、中の光景に思わず息が止まった。
そこには―――

流し台の付近に長い髪で顔を隠した着物姿の女の人が立っていた。

その女は流しから白いものを取ってはブツブツと何か言っている。

「一ま〜い・・・二ま〜い・・・」

最近聞いた事があるフレーズに北斗は肩の力が抜けた。
緊張で汗の滲んだ額を拭うと、気の抜けた声で相手を呼んだ。

「なんだ〜菊さんか〜。」

「え、北斗さん?」

ほっと胸を撫で下ろしながら呟いた北斗の声に、流しにいた女は驚いて振り返った。
その顔は青白くまったく生気がなかったのだが、それよりも振り返った女の足元が透けていて向こう側の流し台が見えていた。
一瞬頭がフリーズした北斗は目を見開いたまま固まっていた。
菊は自分の姿に気づくとおろおろしながら北斗に近づく。

「あ、あの北斗さん」

「あらぁ〜、見られちゃったみたいねぇ〜。」

菊が北斗に声をかけようとしたその時、後ろから他の女の声が聞こえてきた。
続いて右肩が重くなり、振り向くと女の人が肩に寄りかかるようにして北斗を見ていた。
そしてその女も足元が透けていたのだが、それよりなによりその女の顔の右半分が・・・。

「きゃあぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」

言うが早いか北斗は叫びながら一目散に逃げて行った。

「あらあら」

「い、岩さん」

二人の女は北斗の走っていった廊下を唖然としながら見つめていた。





夜の廊下を足音も気にせずドタバタと駆けていく。
角を曲がった所で何かにぶつかった。
恐怖で顔を引きつらせながら見上げると、ぶつかった相手は兇だった。
突然ぶつかってきた北斗を支えるようにしながら「どうしたの?」と心配そうに兇が聞いてくる。
北斗は天の助けとばかりに兇にしがみつき、泣きながら先ほど見た光景を話そうと口を開きかけたその時――――

「あらぁ〜坊っちゃん、こんな所で逢瀬なんかして、妬けちゃうわ〜。」

北斗の声を遮るように女の声が聞こえてきた。
兇は声のした方へと視線を向けると途端怪訝な顔つきになる。
兇の視線の先には顔の右半分を前髪で隠した女が立っていた。
妙齢のその女は廊下の柱に寄りかかりながら口元に笑みを浮かべてこちらを見ていた。

「こんな時間に何をしていたんだ?」

「私は、今夜は月が綺麗だったから散歩してたんですよ、そしたら菊がまた台所でアレを、ね。」

戒めるような兇の声音に女は肩を竦めながらそう答えてきた。

「菊さんが?」

「ええ、それでそこのお嬢さんが丁度居合わせちゃったみたいで・・・」

女はそこまで言ってもったいぶるように言葉を切った。

「まさか・・・」

「ええ、ばれちゃったみたいですよ。」

女はにっこりと微笑みながら言った。
兇の腕の中の北斗がびくりと反応する。

「北斗さん」

その時、あとから追いついてきた菊が声をかけてきた。

「ひっ」

北斗は菊を見た途端、小さく悲鳴を上げると兇の腕を振り解き一目散に逃げていってしまった。

「も、申し訳ありません坊っちゃん。」

おろおろと兇に謝る菊の足はもう透けてはいなかった。

「ふう、仕方が無い。お前達はもう部屋に戻っていいよ。」

「はい。」

「はいは〜い。」

二人の女は来た道を戻り部屋へと戻っていった。

「はぁ、こんな時になんだってまた。」

月明かりに照らされながら兇は頭を抱え溜息を吐いた。





「えっと、それってつまり・・・」

朝、食事の間から困惑気味の北斗の声が聞こえてきた。

「うん、菊さんは人間じゃないんだ。」

「じゃ、じゃあ私が見たのは?」

「あれが菊さんの本当の姿。それとお岩さんもね。」

「・・・・・」

昨晩はあまりの出来事に自室に戻った北斗は、布団を頭から被り恐怖に怯えて一睡もできなかった。
そして早朝、北斗の部屋を訪れた兇は話があるからと言って北斗を食事の間に連れてきた。
先ほどの説明を聞いた北斗だったが、その内容があまりにも衝撃的過ぎて言葉に詰まっていた。
部屋の隅では、押し黙ってしまった北斗から距離を置くようにして菊が俯きながら座っていた。
北斗はそろりと菊を見ると視線に気づいた菊が、申し訳なさそうな顔でこちらを見返した。
ばっと視線を元に戻した北斗はわなわなと震える声で言った。

「そ、それじゃあ・・・菊さん達は・・・幽霊?」

「うん。」

兇の返事に北斗は完全に言葉を失う。
顔色は見る見るうちに青褪めていき、体は小刻みに震えていく。

「え・・・と、つまりうちは・・・・」

見る間に怯えた表情になっていく北斗を見て、兇もどう説明しようかと視線を彷徨わせた。

「うちの家系はもともと彷徨える霊たちを保護、もしくは更生させる所なのさ。」

言い淀む兇に変わって明るい口調で説明してきたのは猛だった。
部屋の壁に寄りかかりながらにこにこと屈託の無い笑顔を向けている。

「霊を保護?更生?」

猛の言葉に北斗は震えるのも忘れ首を傾げながら聞き返してきた。

「そ、うちは元々悪霊から村や街を守ったり、彷徨える霊達を霊界へと送る霊導者みたいなことをやっててね、でもそのうち霊導できない霊たちが出てきて面倒を見るはめになちゃったんだこれが。」

あはははは、と爽やかに笑いながら猛は一族の秘密を暴露した。

「黙っててごめん。」

猛の話を理解しきれず固まる北斗に、兇は深々と頭を下げながら謝った。

「そりゃそうだよねぇ〜、転がり込んだ先がお化け屋敷だったなんて、普通の女の子じゃあキツイよなぁ〜。」

猛はのんきにそんな事を言いながらカラカラと笑った。

「あ、で、でもここに居れば安全だと思ったんだ。相手はその・・・」

「幽霊……ううん、悪霊だったって……事?」

ようやく状況が飲み込めてきた北斗は震える声で兇に問いかけた。

「うん。那々瀬さんの家を燃やしたのはたぶん・・・」

言い辛そうに頷く兇を、意識が遠のきそうな頭で確認した北斗はぶるぶると震えだす。
そして――

ぷっつん。

「きゃあぁぁぁぁぁ、いやあぁぁぁぁぁ!祟られちゃうよ〜〜!!」

何かが切れる音がしたかと思った瞬間、北斗は激しくがくがくと震えだし顔を真っ青にして滝のような涙を流しながら頭を抱えて叫び出してしまった。
そしてその直後、北斗は突然ぱたりと倒れた。
目の前の出来事に一同唖然とする。
一瞬の間を置いたあと、それぞれ一斉に騒ぎ出した。

「こ、氷持って来て!あと布団も!!」

「那々瀬さん!那々瀬さん!」

「あらら〜、こりゃ重症だわ。」

「あああ〜私のせいで・・・北斗さんお気を確かに!」

「何か僕、余計な事を言っちゃったかなぁ〜・・・き、兇君そんなに睨まない・・・あ、ふとん、布団持って来るね!」

ドタバタと慌ただしい喧騒の中、意識を手放す前に北斗は心の中で叫んでいた。

―――絶対出てってやる!

父日本到着まであと2日。

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