うららかな春の日差しが暖かな午後。
鈴宮家の庭園にある木々には小鳥達が羽根を安めに訪れ、可愛らしい鳴き声を披露してくれていた。
その側には庭園に合わせて作られた大きな池があり、時折立派な錦鯉が水しぶきを上げながら大きく跳ねている。
その庭を一望できる豪華な客間に、北斗は正座をして目の前の存在に冷や汗を流していた。
カポーン
鹿威しの音が響く中、北斗は一言も喋れずにいた。
壁に掛かった時計の音だけが嫌に大きく響き北斗を更に焦らせる。
耐え切れなくなった北斗は、ちらりと目の前の人物を盗み見た。
目の前には、座卓の前に同じように正座をし腕を組んだまま瞑目する父の姿があった。
――ひえぇぇぇぇぇ〜。
北斗は心の中で悲鳴をあげた。
鈴宮家からこっそり逃げ出した北斗は、またしても悪霊に襲われた。
しかし、危機一髪、駆けつけた兇達に助けられ、また鈴宮家に戻って来られた。
そんなこんなでひと騒動あったわけで、父親が来る事を北斗はすっかり忘れていた。
何の用意も言い訳も無いまま、鈴宮家を訪れた父親を客間に通し、兇達は用があるからと席を外したのが数分前。
そして、何の解決策も見い出せぬまま、北斗は父親と視線を合わせる事もできず、ただただ目の前の座卓を見つめるばかりであった。
北斗が内心で冷や汗をだらだら流しながら焦っていると、おもむろに父が口を開いた。
「その……大変、だったそうだな。」
「う、うん。」
お互いその一言を言うのが精一杯で、言葉が続かずまた黙り込んでしまった。
暫く時計の針の音だけが部屋の中に響いた。
そろそろ黙っているのも辛くなってきた北斗は、意を決して口を開こうとしたその時。
カラリ
真っ白な障子が何の前触れも無く開いたかと思うと、そこに立っていたのはお盆を手にした兇の母親――清音――だった。
清音はにっこりと女神の微笑を見せながら、流れるような足取りで部屋へと入り二人にお茶を出した。
「はじめまして、清音と申します。いつも息子がお世話になっております。」
清音はお茶を出し終わると、座卓から少し距離を置いて正座し、三つ指をついて深々と頭を下げてきた。
それに驚いたのは北斗の父親の方で、慌てて清音の方に向き直ると同じように頭を下げた。
「あ、いえこちらこそ娘がお世話になっております。」
「お世話だなんてそんな、北斗さんには色々お手伝いして貰えてこちらこそお世話になっているんですのよ。」
北斗の父親が頭を下げると、清音は困ったように眉尻を下げながら言ってきた。
「は、はあ。」
北斗の父――和夫――は清音の言葉に困惑気味に顔を上げる。
「わたくしここを一人で住んでおりますでしょ?息子達はあまり家に寄り付かないし、毎日寂しい思いをしておりましたの。でも、北斗さんが来てくださってとっても助かっているんですのよ。」
「そうだったんですか、いやこんな大きなお屋敷にお一人とはさぞお寂しいでしょうなぁ。」
和夫は清音の言葉に目を潤ませながらうんうんと頷いていた。
「は?」
清音ならず父の言葉に北斗は思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。
――は?一人?え、え、でも使用人さんや菊さん達は??
北斗は二人の言葉に混乱していた。
実は先ほども、この客間に来る途中に何人かの使用人たちとすれ違っていた。
みなそれぞれ父に会釈をしていたのだが、父はそれを全て無視していた。
いや・・・無視していたわけではなく。。。
さぁっと北斗の顔色が変わった。
――え、えええぇぇぇぇぇぇぇ!!
寸での所で悲鳴を飲み込む。
ちらりと和夫を見ると、北斗の異変には気づいていない様子で清音の話を熱心に聞いていた。
ほっと胸を撫で下ろし、そっと廊下の方を見ると。
「ぶふっ!」
いた!障子の隙間からこちらをこっそりと覗いている使用人達がいた。
しかもすごい数。
その異様な光景に父――和夫――は全く気づくことも無く熱心に話しをしている。
と、いうことは・・・・。
考えたくない結論が頭を掠めた。
――いやぁ〜〜もぉ〜〜〜。
北斗は心の中で号泣した。
気づかなかった。
全然気づかなかった。
だってだって、普通の人に見えたんだもん。
まさか、まさか・・・・。
――ここの使用人全員が幽霊だったなんてぇぇぇぇ〜〜!!
うららかな春の日差しが暖かな午後。
北斗の心の中の悲鳴が誰に聞かれるでもなく美しい庭園に響いていった。
カポ〜ン。
「良かったわねぇ〜北斗さん。」
その日の夕食の時間、清音はにこにこしながら北斗に話しかけてきた。
結局、北斗の父親は清音の一人暮らし(未亡人だと思い込んでいるらしい)に心を打たれたのか、北斗がここにお世話になることを許してくれた。
しかも、帰り際「ふつつかな娘ですがどうぞよろしく。」などと嫁にやる父親のような台詞まで残していったのだ。
あの時の恥ずかしさといったら・・・しかも清音さんが美人だと知ったときのあの父親の鼻の下の伸びようといったら。
デレデレと散々話した挙句、結局娘の住む所の事なんてものの数分で承諾していた。
お陰でここにまた住んでもいい事になったのだが・・・。
「え、ええ。」
北斗は清音の言葉に青褪めながら頷いた、しかもよく見ると心なしかお茶碗を持つ手が小刻みに震えている。
その理由は、先ほど気づいてしまった真実――使用人が幽霊――故なのだが、その事にまだ誰も気づいていなかった。
「今日はお祝いだ!ホラお頭付きの鯛だぜ!」
いきなりドンと北斗の目の前に置かれたのは、それは見事な丸々と太った鯛の塩焼きだった。
見るからに美味しそうな豪華なおかずに北斗は一瞬見とれたが、次の瞬間小さな悲鳴を上げて固まった。
「ん?何だい?俺の顔に何かついているのかい?」
使用人の男は訝しげに北斗を見下ろす。
「な、何でもないです!」
北斗は慌てて頭を振って答えた。
びくびくと震える北斗に使用人の男はわけが分からないといった風に首を傾げていた。
「えっと・・・芳一(ほういち)さん、鯛ありがとう。那々瀬さんも喜んでると思うよ。そろそろ仕事に戻った方がいいんじゃないかな?」
豪快な芳一の態度に北斗が怯えているのだと勘違いした兇が、芳一の注意を逸らそうと二人の間に入った。
「おおそうかい?。まあお譲ちゃんもあんな事があった後だからなぁ〜。よし!おれが一曲披露してやるぜ!」
聞いてない。
胸をどんと拳で叩きながら、にかっと笑った使用人の男―― 芳一 ――はそう言うと、くるりと踵を返し部屋の中央へ歩いて行ってしまった。
「はぁ、ごめんね那々瀬さん。みんな悪いヒト達じゃないんだけど。」
「あ、ううん私こそ、その、まだ慣れなくて。」
兇の申し訳なさそうな顔を見た北斗は、慌てて頭を振った。
兇は黙って家を出て行ってしまった自分を助けてくれたどころか、またこの家に住んでもいいと言ってくれた。
しかも、その場に居た猛さんや菊さんや岩さん達も好きなだけ居て良いと言ってくれた。
幽霊やお化けはもちろん嫌いだけど、ここにいるヒト達は北斗が思っていたのと違っていた。
だから一緒に居られると思ってあの後ここに住む事を決めたのだった。
そして、父親にも会って許しももらった、もう何も気遣う必要は無くなったのだが・・・。
―――なんで気づいちゃうかなぁ〜。
いかんせん北斗のお化け嫌いはそう簡単に治るものではなかった。
いっそこのまま気づかないほうが良かったと、北斗が溜息を吐いていると、どこからともなく美しい音色が聴こえて来た。
見ると、先ほど鯛を持ってきてくれた芳一と呼ばれた男が畳の上に胡坐をかき、何か丸いギターの様な物を担いで弾いている姿が見えた。
その旋律は優しい音色で何故だか安心するような曲だった。
赤子が母親に抱かれているようなそんな音色。
――お母さん。
北斗の目からぽろりと涙がこぼれた。
「那々瀬さん。」
「あ、ご、ごめんね。芳一さんが元気付けてくれようとしてるのに。」
「ううんいいんだ。芳一さんの曲を聴いたヒトはみんなああなっちゃうから。」
「え?」
兇が指差した方を見ると――皆泣いていた。
しくしくとすすり泣く者や顔を上げてむぜび泣く者、部屋に居た使用人のほとんどが涙を流して泣いていた。
「芳一さんは、昔すごい琵琶弾きの名人だったんだよ。」
「へぇ。」
兇の説明に北斗は感心しながら芳一を見た。
「うぅ、北斗様〜。」
美しい音色に混じって弱々しい掠れた声が聞こえてきた。
何事かと振り返ろうとしたら、いきなりがばっと抱きつかれた。
見ると、菊がおいおいと泣きながら北斗にしがみついていた。
「き、菊さん?」
北斗はいきなりの事に、怖がるのも忘れて泣きじゃくる菊を見下ろした。
「良かったです。良かったですぅ〜無事で、無事でぇ〜〜〜。北斗様に何かあったら菊は菊はぁぁぁぁ〜〜!」
今まで我慢していた涙腺が大決壊した菊は、鼻水をずびずびすすりながら北斗を見上げた。
「北斗様って・・・。」
兇が引き攣りながら菊に尋ねる。
「はい、わたくし決めました!北斗様をお守りするって!」
「え、ええ?そ、それはどうして?」
驚いたのは北斗の方で目を見開きながら菊に問い返した。
「え、だってだって、わたくしのお遣いする坊っちゃんの想い人ですもの!いずれはこの鈴宮家の若き奥方に・・・」
「ス、ストーップ菊さん!那々瀬さん散歩……に、庭にでも散歩しに行こう!!」
菊の言葉を遮るように、真っ赤な顔をした兇は北斗の手を取ると有無を言わさず席を立ち、もの凄い速さで北斗を連れて行ってしまった。
そのすぐ後から「坊っちゃんファイトですよ〜」と菊の声援が聞こえてきた。
「あ、あの鈴宮君?」
早足で廊下を歩いていく兇に引かれながら北斗は恐る恐る声をかけた。
その声に兇の肩が揺れた。
「ご、ごめんね、その・・・菊さんがあんな事を・・・。」
突然立ち止まった兇は振り返る事ができず、背中を見せたまま北斗に謝罪した。
手はまだ繋いだまま。
兇の手の熱さに心臓の音が早くなるのを感じながら、北斗は「ううん」と首を振った。
二人の間に沈黙が落ちる。
それを破るかのように北斗が口を開いた。
「あ、ありがとう。」
「え?」
「その・・・助けてくれて・・・まだお礼言ってなかったから。」
北斗の言葉に弾かれたように振り向いた兇は、北斗の顔を見ると優しく微笑んだ。
「うん・・・無事でよかった。」
心の底からの言葉に北斗は恥ずかしさのあまり俯く。
兇は俯いてしまった北斗に近づくと、その頬に手を添えた。
北斗は兇の手に甘えたように擦り寄ると、躊躇いながらも視線を合わせた。
自分を映す兇の瞳には優しい色が滲んでいた。
それを見た北斗は心の底から安心し、そして何故か頬が熱くなるのを感じた。
お互い目を逸らす事もなく相手をじっと見つめ合う。
「も、もう夜だね。」
「うん。」
「だ、誰もいないね。」
「うん」
見つめてくる兇の視線に、急に恥ずかしくなった北斗は誤魔化すように言葉を発する。
そんな北斗に兇は熱い眼差しのまま、相槌を打ちながら徐々に顔を近づけていった。
「つ・・・月、綺麗だね。」
「うん。」
震える北斗の最後の言葉に兇は「君が」と付け加えゆっくりと瞼を閉じた。
慌てて北斗も瞼を閉じると―――
「あらぁ〜、またこんな所で逢引きなんかしてるんですか〜?」
もう少しという所で、またもや岩が現れた。
ばばっという音が聞こえるくらいの高速で二人は離れ、顔を真っ赤にしながらお互いあらぬ方向を見ながら顔を逸らす。
「あ〜岩さんあともうちょっとだったのにぃ〜!」
すると、廊下の角から落胆する声が聞こえてきた。
見ると、廊下の曲がり角の壁に隠れるようにして菊や他の使用人たちがこっそりこちらを覗いていた。
「何よぉ〜、坊っちゃんはあたしのものなんだから!抜け駆けは許さないわよ〜!」
岩はくるりと振り返ったかと思うと、菊や他の使用人達に向かってビシッと人差し指を向けて言ってきた。
「な、何言ってるの!北斗様と兇坊っちゃんは・・・」
「あ〜うるさいうるさい!そんなもんあたしの美貌でイチコロよ!」
何がイチコロなのかよく解らないが、岩は踏ん反り返ってふんっと鼻息荒く言い切った。
「な、何という事を〜〜!!」
菊は岩の言葉に、わなわなと肩を震わせながら憤慨する。
喧々轟々と、女幽霊同士の言い争いが始まる中。
その争いに巻き込まれないようにと、他の使用人たちは早々と退散していき。
いきなり良いムードをぶち壊しにされ放心状態の北斗と、同じく良いムードをぶち壊しにされ欲求不満だらけで頭を掻きむしる兇だけが、その場に取り残されていた。
そして・・・。
使用人達が去って行った反対側の廊下の角からは、また別の視線が一部始終を覗いていたのだが・・・。
「まだまだね〜。」
「だねぇ〜〜。」
その視線の主である親子達は、お互い肩を落としながら溜息混じりに呟くのであった。
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