真っ暗な闇の中、足音を忍ばせて歩く複数の影。
その影はある場所へ辿り着くとピタリと止まった。

「準備はいい?」

手に持っていた懐中電灯で前方を照らしながら背後の人影に確認する。
その直後背後からごくりと唾を飲み込む音が聞こえてきた。
背後の人物は少しの間躊躇った後、ゆっくりと頷いた。

「行こう。」

一連の行動を静かに見守っていた男は、背後で震える少女をちらりと盗み見た後、彼は眼前に聳え立つモノを見上げる。
そこには―――

暗闇の中に悠然と佇む真っ黒な門があった。

コツーン、コツーンと辺りに響く複数の足音。
一人は震える手を胸の前で握り締め、始終辺りを警戒する少女と。
もう一人は懐中電灯を手に先頭を歩く秀麗な青年。
そしてその後に続くのは、鼻歌でも聞こえてきそうなほど軽い足取りで辺りを興味深げに見て回る同じく秀麗な顔の青年がいた。

「う〜ん・・・ほ〜んと、なんかいそうな場所だよねぇ、ここ。」

後ろから着いて来た男の声に北斗はびくりと肩を震わせた。

「猛!」

兇の鋭い視線に猛は「はいはい。」と言いながら肩を竦める。

「や、やっぱりここが原因なのかな?」

震える声で北斗は前を歩く兇に問いかける。

「うん、一連の事件を振り返ると、ここが一番怪しいんだ。」

兇は北斗に視線を合わせながら頷くと辺りを懐中電灯で照らす。
北斗たちがいるここは、以前にも来た旧校舎の地下だった。
数週間前、オカルト好きのクラスの担任が『恐怖のお化け体験授業』と称して行った課外授業の場所がここだった。
実際本当に来たのは北斗達とオカルト研究部の部員だけで、ほとんどの生徒は真に受けず来なかったのだとか。
曰く付きのこの場所は地下にあるせいか、昼夜を問わず真っ暗な闇に包まれている。
その為か空気は淀みひんやりとしたそこは、俗に言う心霊スポットにありがちな陰の空気で満たされていた。
以前、北斗達が来たときと違う所といえば、地上から聞こえてきていた生徒や教師達の喧騒がなく、まったくと言って良いほどの静寂が辺りを支配していることだった。
そしてあの時見た北斗を恐怖に至らしめた青白い人影の姿の類がどこにも見当たらず、ただ真っ暗な闇が永遠のようにその奥へと続くばかりだった。
北斗としてはあの人影たちを見ないのは実に嬉しい事なのだが、この前はいたはずのものが居ないというだけで何かとてつもなく恐ろしい感じがするのは気のせいではないだろう。
異様なほど静まり返った空間に思わず喉を鳴らした。

「ん?北斗ちゃん大丈夫?怖いならお兄さんが手を繋いでてあげよう。」

語尾にハートマークが付きそうなほど嬉しそうに言いながら北斗の手を取ろうとする猛に北斗は驚いて

「あ、だ、大丈夫です。子供じゃないですし。」

と断ろうとした。

「あ〜そうかごめんごめん。そうだよね〜子供じゃないんだから、こっちだよね♪」

と何を思ったのか、猛は北斗の肩に手を回すとそのまま引き寄せた。
いきなり猛に引き寄せられた北斗はバランスを崩し、そのまま猛の胸にぽすっと抱き留められてしまった。

「あ〜北斗ちゃん分かってるね〜♪足元ふらついてるみたいだから、このままお姫様抱っこで――」

ギロリ

北斗の膝を抱え上げようとした所で、兇の絶対零度の視線に睨まれた。
猛は「じょ、冗談冗談。」と顔中に冷や汗をだらだらと流しながら兇に愛想笑いをする。
更に兇の視線の温度が下がった。
仕方が無いな、と渋々北斗を開放した猛は「じゃあこっちで」と性懲りもなく北斗の右手を取ると、兇の視線から逃れるようにさっさと歩き出してしまった。
それを見ていた兇は、むすっとした表情を一瞬見せたかと思うと徐に空いている北斗の手を取り

「手を繋いでいれば怖くないよ。それに危ないからね(色々と)。」

と北斗には天使の笑顔を向けながら言うと北斗の歩調に合わせて歩き出した。

「え、あ、あの・・・」

二人の美男子に両手を繋がれた北斗は顔を真っ赤にしながらも、にこにこと笑顔を向けてくる兄弟に返す言葉もなくズルズルとされるがままに引きずられて行く。
暫く歩いていると目の前に大きな壁が見えてきた。

「あ、あれ?」

北斗は目の前の壁を見上げながら困惑の声を漏らした。

――この前来たときこんな物あったっけ?

この先にはまだ廊下が続いていたはずだった。
まだ半分も歩いていないというのに眼前に立ち塞がる巨大な壁に北斗は呆然としながらその壁を見上げた。

「こ、ここって・・・」

「この先には通さないつもりか?」

兇も眉間に皺を寄せながら目の前の壁を見上げる。

「まあ、この先に何かあるって事だよねぇ。」

目の前の壁を睨みつける兇の背後から、楽しそうな猛の声が聞こえてきた。

「とりあえず強行突破してみる?」

物騒な言葉とは裏腹に爽やかな笑顔でそう言うと猛は一歩前に出た。

「ちょ、ちょっと待・・・」

兇の制止も聞かず猛は右手をかざす。
小さな声で何かを呟くと、猛の右手が淡く光りだし次の瞬間目の前の壁がぐにゃりと歪んだ。
その刹那、目の前の壁が強く光りだしたかと思うと無数の光の粒となってほろほろと崩れていく。
崩れた光はふわふわと浮かんだかと思うと天井に吸い込まれるように消えていった。

「猛!」

光が消えていった後、兇のどこか咎めるような声が聞こえてきた。
見ると、沈痛な面持ちで猛の顔を見る兇がいた。

「そんな顔するなよ。しょうがないでしょ、彼らはもう意思もなくなっちゃってるし言葉も忘れちゃってるんだから。」

「だからって・・・」

猛の言葉に眉根を寄せながら兇が詰め寄る。

「大丈夫だって、ちゃ〜んと一部は送ってあげたし。それに彼らだってあんな冷たい壁にされたままじゃ可哀想だろう?」

猛の言葉に兇はどこか納得のいかないといった顔をしながらもそれ以上は何も言わなかった。

「あ、あの?」

状況の掴めない北斗が恐る恐る二人に声をかける。

「ん、ああ北斗ちゃんには意味わかんないよね〜。うん、さっきのあれ、ここにいる自縛霊やら浮遊霊たちが集まってできていたものなんだけど、無理矢理あんな姿にされちゃったみたいで、なんかごちゃごちゃ混ざっちゃっててね、全部あっちに送れなかったからダメなのは消しちゃった。」

にこにこと世間話でもするかのような猛の言葉を、北斗は一瞬意味が分からないといった表情をしていたが、その言葉を反復するうちに、みるみる内に顔色が変わっていった。

「え、消したって、そ、それじゃあ・・・」

「うん、もういないよ。」

猛の言った意味をようやく理解した北斗はくしゃりと顔を歪めると

「なんだか可哀想・・・」

とぽつりと呟いた。
その言葉に二人は言葉を失う。

―――ああ、君は・・・・

「優しいね。」

ぽんっと北斗の頭に手を置きながら猛は微笑む。
隣にいる兇も何故か救われたような表情で北斗を見ていた。

「え?え?私何か変な事言った?」

二人の顔を交互に見ながら北斗は慌てた。

「いや、北斗ちゃんがそう思ってくれるなら消えちゃった自縛霊さん達も浮かばれるなぁ〜ってね。」

そう言いながら猛はウインクをしてみせた。

「北斗ちゃん・・・この先何があるかわからないし、危険だと思うけど僕達が絶対守るから」

だから安心して――そう言いながら猛は北斗にとびきり優しい笑顔を向けた。
隣に立つ兇も頷きながら北斗へ優しく微笑んでいた。

「さ、行こう。」

三人は来たときと同じように手を繋いで真っ暗な闇の中へと進んでいった。





「ここが?」

「うん、ここだよ。」

「ふふ、ここだねぇ〜。」

三人は辿り着いた場所を見上げながら呟いた。

「ここって。」

北斗は見覚えのあるこの教室に目を瞠った。
ここは以前、自縛霊たちに誘われそうになった場所だった。
おいでおいでとこちらに手を振る光景が甦りそうになり、北斗は慌てて頭を振って無理矢理記憶から消した。
そうしなければ恐怖で足が動かなくなりそうだったから。
ここのお陰で兇と仲良くなれたのに、まさかここに来たせいであんな怖い目に会っていたのかと思うと、何ともいえない気持ちになった。
俯いていた北斗は肩に温もりを感じて視線を上げると、心配そうな顔で自分を見つめる兇と目が合った。
北斗は慌てて笑顔を作りながら「大丈夫だよ」と伝える。
兇は北斗の手を取るとぎゅっと強く握り返してくれた。
それだけで十分だった。
私は守られているんだと勇気が沸いてきた。
反対側の猛にも、にこりと笑顔を向けながら大きく頷くと、その教室へと一歩足を踏み入れた。
踏み入ったその教室の中は他の教室同様に荒れ放題に荒れていた。
誰が悪戯したのか机や椅子は散乱し、壁には落書きがされ、窓ガラスは割れて床に散らばったままになっており、その上には厚い埃が溜まっていた。
そして、その教室の真ん中に視線を向けた北斗は息を飲んだ。
そこには――

青白い光が蹲っていた。

教室の真ん中で微動だにしないその塊を、警戒しながら様子を覗う兇達の耳に微かにすすり泣く声が聞こえてきた。

 暗い  怖い  寒い  寂しい

そのすすり泣く音に混ざって、ぽつりぽつりと重なる声。

 痛い  苦しい  見えない  聞こえない

その声はだんだんと大きくなっていき悲痛な叫び声へと変わっていく。
その声に比例して青白い光はゆっくりと立ち上がると、その輪郭が徐々に人の形に変化していった。
立ち上がった光がゆっくりとこちらに顔を向けるのと同時に頭の中に一層大きな声が響いてきた。

 憎い

頭の中でこだまとなって鳴り響く声に北斗は思わず耳を塞ぐ。

 どうして私が  ひどい  酷い  ヒドイ

尚も聞こえてくるその声は段々と感情を含んだ言葉となっていった。
鳴り止まない頭の中の声に苦痛に顔を歪ませながら北斗は目の前の光の人物を必死に見る。
その人物は自分と同じ年頃の女性だった。
黒い髪を肩の所で綺麗に切り揃え、小柄なその体には制服を身に着けていた。
憎悪と悲しみに顔を歪ませてはいるが端正な顔立ちをしていることが見て取れた。
少女の目からはいく筋もの涙が流れ、畏怖の念をその口から吐き出している。
何故か胸が苦しくなった。
彼女にあるのは怒りと憎しみ。
そして―――悲しみだけ。
知らず北斗の瞳から涙が零れ落ちた。

 なんで  なんで  私ばかり!!

その少女はそう叫ぶとギョロリと目だけを北斗に向ける。
一拍の間を置いた後、彼女の背後からあの黒い触手が飛び出し北斗に襲い掛かってきた。

「きゃあ!」

それは一瞬の出来事だった。
伸びてきた触手から北斗を庇っていた兇達の隙をつき、一本の触手が北斗の体を絡め取った。
触手はそのまま素早い動きで北斗を天井まで持ち上げると、少女の目の前に北斗を降ろした。

「那々瀬さん!」

「北斗ちゃん!!」

二人は切羽詰った叫び声を上げる。
行く手を阻もうとする触手を乱暴に引き剥がすと兇は走り出した。
北斗の体を引き戻そうと腕を伸ばした瞬間。

どかっ

鈍い音が響いた。

「鈴宮君!」

触手に薙ぎ払われた兇は壁にぶつかりそのままずるずると床へ倒れていく。
ぴくりとも動かない体に北斗は驚愕し兇の元へ駆け寄ろうとした。
しかし、無数の触手に周囲を囲まれ兇の元へは行けなかった。

「いや、鈴宮君!鈴宮君!」

北斗はその場に膝をつくと涙を流しながら叫んだ。

「兇く・・・ん」

ぼろぼろと涙を零す北斗の背にひやりと冷たいものが触れた。
振り返ると先ほどの少女がうつろな瞳で北斗を見下ろしていた。
自身に迫る危険を思い出し北斗は「ひっ」と小さく悲鳴を上げると後退りした。

 ずっと一人だったの

「え?」

恐怖に怯える北斗の袖を掴みながら少女はぽつりと話し出した。

 暗くて怖くて寒くて・・・寂しかったの

「寂し・・・かった?」

 うん

彼女が頷くと北斗の頭の中にどこかの景色が浮かんできた。

「これは・・・」

学校?

見たこともない教室が頭の中に映像として甦っていく。
さながら古い映画を見ているような錯覚に北斗は内心混乱する。
そこは北斗の知らない古びた教室だった。

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